タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

ゴールは祈り お誕生日の次の日 葛城の神様にいただいたギフトでした。

こんばんは

neverLand akoです。
暑かったですね。

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で、奈良の山の中で水遊び。


さすが夏休みで地元のちびっこたちがいっぱい遊びにきていました。

 

夕方近くに着いたので

私たちと入れ替わり。

清流が 心地よかった。

しばし 水の中で水と戯れていました。

 

大自然のエネルギーは

清らかで 美しい。

 

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空はぴーかんで 奈良も暑かったです。

 

葛城にある高鴨神社

お誕生日の祈祷に行ってきました。

 

こちらの宮司さんにもよくしていただいていて

いろんな お話をうかがわせていただきました。

 

何かあったら

まずは、考えずに祈ればいい。

悩まずにただただ、手を合わせればいい。

スーーっと 気持ちを神さんの方に向ければいい。

それだけで

その 悩んでいる 苦しい時間はやり過ごせて行くもの。

 

日本には そういう環境が整っていて

いつでも 家の中でも 外でも

手を合わせる対象である「神」がそこかしこに。

 

けれど そんな習慣が、少しずつ途絶えて来てしまった今

何かが違う方向に行ってしまっているんじゃないかと思います。

 

私も 時には よくよく 悩み 落ち込み また 悩みを繰り返してきたから

これからは、そんな時には考えずに

手を合わせてみよう。

ただただ、手を合わせて祈り

その時間をやり過ごしてしまおう。

 

ゴールは祈り

 

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みそぎの水はどこまでも綺麗で

何とはなしに

手を合わせて祈る環境に出会います。

 

 

都会で生まれ育った私は

今年の春

自分を生き出して初めて、北海道に舞い降りました。

小さな頃 一度だけ来たことがあるのですが

ほとんど 覚えていません。

 

北海道のことは こちら

 

neverland2001.hatenablog.com

 

 

驚きました。

大自然が広がっていて

本当にビッグで

飛行機の中から何を見ているのだろうかと思ったほどです。

 

その自然の中に入り込んだら

手を合わせるどころじゃなくて

そこにいること それだけで

「生かされている」を感じることに気づかされます。

 

本土の神社が全体に広がっている様な

囲いが取り払われている様な。

 

日本の古代が自然であったのは

自然の中に生活し

自然と共にあり

自然の中で生き方を模索して来たからではなかろうか。

 

ふと そんなことを思います。

 

でも それは

わざわざ 文明を放棄し

水道が目の前にあるにも関わらず

水を沢まで汲みにいく様な、そんな生活ではなくて

まさに 自然 の 生活。

 

そんな中で

執着も不安も感じなくなるのは

到底 自分がどうにもできない代物が目の前に存在するからかもしれません。

 

抗えない どうにもならないことの前では

「今後どうなっていくのだろう」という発想ではなくて

「自分はどう生きるのか」

を問われている様な。

 

 

自分はどう生きるのか

 

瞬間瞬間の答えを生きていくこと。

私が思う丁寧に生きるとは

そういうことの様な気がしています。

 

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