種の音 〜neverLand

つながる振動数。タネの響きを言葉に代えて。

アメ 空から落ちてくる情報です。風はその情報を運んできてくれます。

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こんばんは

今日もこんな時間になりました。

お盆休みが終わり、今日はいちにち雑務に追われておりました。

やらなきゃいけないことが山積みにぃ…😓

 

少し前の「諏訪」の空。

綺麗に澄み渡って見ていて気持ちがいいです。

涼しかったなぁ。まだこの時。

ちなみに、今、外は雨です。

これで涼しくなってくれるといいけど。

 

アメ

空から落ちてくる情報です。

そんな風に考えたこともありませんでしたけど

そんな風に考えるようになりました。笑。

 

水にも空気にもたくさんの情報が織り込まれていて
風はその情報を運んできてくれます。
もしかしたら、風にのってくるのは「私」のモノではないのかもしれないけど
今の「私」に必要なものなのかもしれないなと思い始めています。

例えば

空間に残った妬みや憎しみがあるとして、

突然そんな感情を不意に感じるのは、

自分の中にもそんなものがあるからで、それを超えろと言われているような。

悲しみも、しんどさも自分の奥底に潜んでいたモノが

居残っていた情報によってぽっかり顔を出した時だって

おそらく、それを超えろと言われているわけで、

怒りを爆発させてもよし、しんどさを味わい尽くしてもよし

でも、それもこれも全部自分の中にある自分自身だと心に留めておかないと「超える」ことはできないんだろうなと思います。

だって、その為に不意打ちされているのですから。

 

超えたらきっと

そこにある情報は書き換えられていくのだと思うのです。

さらに言えば

書き換えられた情報を持った風や水は

別の場所で新しい流れをきっと生んでいくはずだとも。

無意識で繋がっている世界を変えるにはこんな風にして
思い込みでも「空間」を作っているそのものに意味を持たせてやる。
「空間」を決めている「時」にも意味を持たせてやる。なんてやってたら

忙しくなりすぎて、

いろんなことに手も目も回らず丁寧に時間が上手に使えていない間満載です。

いつも隙間なくびっしりと詰まった情報に翻弄されているようにも感じます。
空気が濃厚というかやり残しているものがずっとあるような。
そんな話をすると、
「私もそうだよ」という人がいて、あぁ  みんなそうなんだなと。
そんな時代なのかもしれませんね。

 

空間は情報で満たされている。

そしてその情報は風や雨が運んでいる。

超えた場所から超える場所へと。

 

それを受け取った時、新しい自分に出会えるような
そんな次元の新たなものと出会いたい。そう思います。

怒りも苦しさもそのためなら自分にとって大切なキーワードなのです。


 

 

 

「言葉」と「ことば」この 微妙なニュアンス

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こんばんは

こんな時間になりました。

 

毎月新しい講座のクラスがあって、

今年に入ってテキスト作りに追われています。

今日もそんなヒトツが終わりしばしの安堵感。

なんにしても

書面 文字で伝えていく仕事は「ことば」のヒトツヒトツが命だと感じます。

登壇するといつも感じるあの感覚は

まるでこの写真のように気持ちが集中していないと「伝わらない」そんな感覚。

一瞬一瞬、口から吐いている「言葉」の振動・周波数が

エネルギーの交流を生んでいるなと体感しています。

 

「大切な約束は言葉ではしない」

「大切なことは言葉では伝わらない」

ハマった映画 海獣の子供のセリフ

 

言葉を使っていたとしても伝わっているのは「言葉」ではなく

その風景だったり背景だったりするのでしょう。

だから、会話している言葉と

こうして書いている「ことば」とは

たとえ同じだったとしても「違う」んですよね。

手紙でもメールでもなく 会って伝えないと誤解を生むことってあると思うし

逆に

手紙にしたためた方が届く「ことば」もある。

そしてまた、空間の中で響く言葉は

言葉が伝えているのではなくて 雰囲気が伝えてくれる「ことば」もある。

 

媒体によって「振動数」や「振動の形」が変化するのでしょうか。

そりゃあ「ことば」をくれた人によっても変わりますよね。

愛する人が発する言葉は、どんな形をしているのかとっても敏感になります。

些細な音でも拾い上げたくなるのは、学びの瞬間だったり

自分が変われば受け取ることばの周波数もきっと変化します。

 

伝えたい「思い」はここにあるのに

ついつい、違う「言葉」で伝えてしまったり

言いたいことは言えずに 言わなくてもいいことを言ってしまう。

その現象背後にはどんな思いが隠されているのだろうか?なんて考えるとき

見えている部分が意外に少ないことに気づかされます。

 

本当のありがとうは ありがとうじゃ足りないんだ。

 

そんな歌の歌詞がありますけど

本当にそうだなと思います。

 

溢れる想いが大きくて、伝えきれなくなった時にこそ伝わるものがある。

そんな気がしてなりません。

言葉で伝えようとしても

どんな「言葉」を尽くしても届けることのできない想いを「愛」と言うのではないかと。

それをそのまま、手渡すかのようにして

言葉無くしても、形無くとも

「伝わった」と感じた時に感じる「ことば」は、いかばかりか。

想像しただけでときめきます。

そんな時には決まって

「自分が想像していることよりもずっとずっと大きなチカラ」で伝わっていく。

だから、形にしなくとも 

自分の大切を感じ続けていればいいんだなと思うわけです。

 

 

「言葉」と「ことば」

この微妙なニュアンスも立体で生きることに繋がりそうです。

「自分の中に銀河がある」まずはそんなことを念頭に置いて 今日を振動させてみます。

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おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

昨日の夕焼け。

台風一過と言えるのかな?

めっちゃクチャ蒸し暑くなりましたが、とても綺麗な青空でした。

 

お盆休みも終焉ですね。

また、日常が始まります。

これから4ヶ月もすると年末。考えられないぐらい今年は早く過ぎ去っていきます。

 

 

 

海獣の子供」の余韻にまだまだ浸りまくっています。

昨日の京都の最終日の映画を観に行く予定にされていた方から

ブログを読んで早めにチケットを買ったとラインがありました。

1時間前に行って3席しか残っていなかったとのこと。

もっとロングランで上映してもらいたかったな。

2回目はさらに新鮮でしたから、3回目はもっとでしょうね。

DVDの販売が待ち遠しいです。

 

「自分の中に渦がある」

主人公の女の子の印象深い一言。

私は、カタカムナをお伝えする側にいますが

カタカムナの1首に出てくる「ウツシ」は渦の示し。

カタカムナ文献は渦巻きで残されていて80首の歌によって

見えない世界でエネルギーがどう動いてこの世界を作り上げているのかなんてことを

伝えてくれています。

 

どれだけ古くて

どれだけすごいのか 

こんな感じのことはいろんな方が伝えてくれているので

私的にはどうでもいいのですが

カタカムナを知り、しっかりと向き合い出したこの1年で

考え方や、物の捉え方が変化したのは確かです。

難解で、何を言わんやとしていて、分厚い学会誌が何冊も出ていて

これを網羅することなんてとても無理。

でも、ページをめくるうちに もっと知りたいと思うようになったのと

海獣の子供」を何回も見ても、あっという間に時間が経ってしまうのとは同じ感覚。

 

形として、言葉として、1+1=2という確かな手応えなどはないけど

そこには何か見えない雰囲気のようなぼんやりとした「象・カタチ」があって

確かに何かある と思えてなりません。

 

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畑の「サクナ」の花が咲きます。

これさえも、おそらく渦巻きの回転順に花をつけているのだろうなと思います。

自然界では当たり前のことを、私は知らずに生きてきました。

命は回転なのですよね。

 

瀬戸内海の端と端、

関門海峡と鳴門の渦潮 

そして 瀬戸内海の真ん中あたり来島海峡に位置する渦潮。

海の渦巻き。

瀬戸内海が多くの歴史を抱えているのはこの渦潮のおかげか、

瀬戸内を制する海人は潮流をよみ合理的に引き潮満ち潮で航海をしていたと聞きます。

 

物語の中では 海くんと空くんとルカちゃんの3人の渦が

命の祭りを体験します。

これまた 3 という数字にもきっと意味がある。

そう思えます。

 

「自分の中に渦巻きがある」

この言葉には まだ 私の知らない深い深い意味が隠されているような気がします。

あぁ  世界にはまだまだ知らないことが山のようです。

「自分の中に銀河がある」

立体的に生きていくとして、まずはそんなことを念頭に置いて

今日を振動させてみます。

 

今日も読んでいただいてありがとうございます。

 

イマジネーションの数だけ、現実はある 映画で見たフレーズが自分の中心で響きます。

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おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

台風10号 こちらにはあまり影響はないだろうと甘く見ていました。

かなりの風が、かなりの時間続いて久しぶりに家が揺れました。

皆さんの地域も被害が少ないことを祈ります。

満月の台風。

自然の脅威を感じます。

 

昨日そんな台風の中、京都まで「海獣の子供」を再度見に行ってきました。

お目当てはそのあとに上映する「トゥレップ〜海獣の子供を探せ」

15日に西の方を直撃するという台風の情報をテレビで見ながら

なんでまた、よりによって京都に行こうと決めた時に来るんだろうと思いながらも、

なぜか止める決断は皆無で「絶対に大丈夫」と心に響かせて車を西へ。

逆に台風のおかげか高速はお盆にも関わらず「スキスキ」

早めに出たので上映されている映画館がある出町に10時過ぎには到着しました。

映画は11時50分から。

しかも、風は少しあるものの京都は青空でした。

映画館のある商店街は昔ながらの商店街で見るもの触るもの安くて美味しそう!!

その上、大福で有名な出町ふたばが通りに並んでいるじゃないですか!!!

しかも、これも台風でか、ほぼ待ち時間なしで購入。

お隣の呉服屋さんで可愛いポーチまでゲットして映画館に入る前にひと荷物作ってしまいました。笑

 

さて、昭和レトロな落ち着いた喫茶店で軽くモーニングをしてお腹を満たし

映画館に向かうとすごいひと!!!

ちらりと耳にした言葉に驚愕です。

もう、満席で入れないとか。

先にチケット買っておくんだった!!!

それでも、「台風の中、愛知から来ました」は結構威力があって支配人さんが立ち見で入れてくれました。

満杯の上映。すごいですね。

台風も侮っていましたが、お盆の上映、しかも全国で上映館も少なくなった
海獣の子供」のことも侮っていました。

立ちっぱなしの2時間弱。

それなのに、この映画の2時間弱はなんでこんなにあっという間なんだろう。

脳の振動が加速することが時間のスピードを速めるかのようです。

 

「命はどこからきて、どこに行くのか」

 

この深いテーマを深く遠く響かせてくれているような気がします。

 

「星が死ぬ周波数」
「自分の中にある自分だけでは作り上げられなかったストーリー」

「見つけて欲しくて光るんだよ」

 

人は1人で生きているようで、そうではなくて命の存在は

何世代も前から連綿と続いているもの。

その続いてきた永続性がある「変わらないもの」は自分の中に存在して

そしてまた、それを受け継いぐためにここに在るのではないか。

その「変わらないもの」は見つけて欲しくて光るんだというメッセージを受け取りました。

 

トゥレップはアニメを見た後、さらに深く切り込んできます。

 

海獣の子供」を描いた漫画家の五十嵐さんも登場しますが

海と森との一致性。

渦巻きを自然界の中で実際に可視したことなどを語られています。

だから、あの描写なのかと納得します。

リアルは見る人たちを深みに繋いでくれます。

 

見えない世界と見える世界が半分ずつあることや

樹木の分かれ目がY字になっていることがひとつの形として

樹木の葉の葉脈や根っこの分かれ方などと同型であることは

自然界がある一定の法則で形作られているのを伝えてくれるという

まさにカタカムナの世界を淡々とかたられている理論物理学者さん。

海の中の水には塊があってその塊を避けていく海洋生物もいれば

ドーンとぶつかっていく海洋生物もいるのだと語られている水中表現家。

自然が語ってくれている振動は受け取り手が手を広げれば如何様にも。

 

帰宅する時、台風で人生最大の雨の塊を受け取ったような感じでしたが

この中に、見えない世界にいる「魚もいるか」も存在させているかもしれないと思うと

不思議な感覚が生まれました。

「車」という乗り物に乗ってはいるけど、飛行機の形がクジラが手を広げた形と同じだと気付いた今、車もクジラなのかもと。

 

イマジネーションの数だけ、現実はある

 

映画で見たフレーズが自分の中心で響きます。

 

合わせて原画展も開催していました。

残念ながら京都出町座の上映は本日までです。

 

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大事なのは戻りたいと思うんじゃなくて あの頃の記憶を大切に育てること

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おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

体調不良が続いていて本物の病気じゃないかと思い始めましたが

日焼けを怖がり外に出ていなかったための運動不足だったんじゃないかと思うぐらい。

昨日は久しぶりに白日のもとにさらされ、いい汗をかきました。

どんよりした空気じゃなくて

写真の青空そのものの くっきり スッキリした天気。

それだけでも結構気持ちが晴れ晴れします。

懐かしい人たちに会って、思考の方向性が変化したら心も軽やかに。

その上、早歩きの人に付き合って早歩きをし続けていたら

どんどん体が軽くなりました。

 

環境は人を変えます。

 

「外に出てないと具合が悪くなるよ」

かつてそう言われたことがあります。

自分では「お家大好き」「引きこもりしていたい」派だと思っているのですが

周りには、そんな訳ない。とよく言われます。

自分のことほどわかっていませんね。

 

最近、クリスタルでもカタカムナでも神聖幾何学でも

ピントが合うのは「平面から立体へ」という「方向性」のような気がしています。

クリスタルが形作られる過程では、外側の層が次の成長のための原子の鋳型になります。

そして、特定の原子だけがこの最良の配列構造に従って結合していきます。

壁を頑丈に作るには、土台と全く同じ形と素材のレンガを積み上げていくように

成長の条件さえ整えばクリスタルは元の型に適合するように層を積み上げていきます。

クリスタルの成長進化ですが、

人に当てはめると

進化の過程では、外側の自分が次の成長のための鋳型になるのかもしれないなぁと思っています。

そして、その外側の鋳型を創り上げているのは少し過去の自分で

そのまた、過去の自分を創り上げたのはもう少し前の過去で

まるで「マトリョーシカ

 

そんなことをぼんやり考えていたら

流れていた音楽の

大事なのは戻りたいと思うんじゃなくて

あの頃の記憶を大切に育てること

と言う歌詞が耳に飛び込んできました。

 

あの頃は楽しかったなぁ とか

今のテンションが、だだ落ちな時、あの時は最高に幸せだったとか よく思うけど

過去の振動を懐かしがると同時に

過去の振動を大切に響かせてやったりすると立体的に生きられるのかもと思います。

常に、今は「次の過去」になりつつあって

その過去が鋳型となって、次を創り上げている。

ペッチャンコの平面に戻らない生き方はどんなだろうと模索し続けようと思います。

 

マカバの六芒星が、平面では6角形だけど立体になると8個の頂点を持つ形になる。

その六角形は実は三角が2つ重なり合ったもので

重なり合って回転しだすと高さが生まれ立体になっていくという、

つまりトーラスのことなのだと理解できます。

六角形の6つの点と高さがでた上と下を合わせて8この頂点を持つ形になっていくことに

気づくには、平面ではなくて立体を思えないと認識できない世界。

 

平面で生きるのではなくて、

立体で生きる世界を複雑怪奇に楽しんでます 笑

外に出ることも立体的な生き方に繋がるのかもと 
しばらくは、マグロのように回り続ける生き方を目指してみようかと思います。

 

 

器があれば中身は如何様にも。つながる振動

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こんにちは

ご訪問ありがとうございます。

 

今日も暑かったですね。

所用で名古屋へ。

うだるような暑さでしたが、緑が多いこの道は日陰に入ると心地いい風が吹き抜けてくれていました。

気がつくと、名古屋城の周りは緑・緑していて癒されます。

 

来年の11月 名古屋城の脇にある「名古屋能楽堂」で講演会を開催します。

 

すごい昔。と言っても

14年ほど前。

いつもの講演会会場が空いていなくて探していた時に一度話を聞かせてもらった

名古屋能楽堂

 

「足袋を履いていただくことになります」と言われそのまま却下になったけど

ずっと頭のどこかにありました。

当時はキャパ500が満席になった時代でしたから

630キャパの名古屋能楽堂はちょうどよかったのですが

色々と考えてみて、難しそうだなと判断したあの日からほぼ14年。

来年、精神科のドクターである啓子先生を名古屋にお呼びするようになって

20年目に入ります。

早い。あっという間です。

何かこれまでとは違うことをやりたいと思ってピンときたのが「能楽堂

今なら、対応できるかも。

 

即行動。

 

空きを確認して、できる形に形を変えてみればいいと思い立って動いてみたら、

あっという間に今までにない形に展開しました。

 

10時から夕方の18時までのロング講演会。

4人のドクター達が集まってパネルディスカッション方式で

笑いと心の医療を語っていただいたり

愛と笑いのカタカムナ講座を展開したり

絵の展示やきっと音楽なども提案していけるのではないかと思っています。

 

器があれば中身は如何様にも。

 

つまり、入れ物、カタカムナで言うところの「マ」が大切な訳です。

「マ」さえあれば、そのマに入るもの達が自然発生的に湧き上がってくる。

そう思えば

「未来の自分・なりたい自分」が湧き上がってこれるような

「マ」は存在させているのか。

と言う話にもなりますね。

そんな場所や場面や場を存在させていますか??と言うことです。

 

プールで泳ぎたいと思っていても

水はあれども水が入るプールが汚れていたり

まだ、汚い水が入っていたりしたら泳ぐことはできません。

泳ぐことができるようにプールの水を抜き、プールの汚れを落とすことで

思いの実現可能な「入れ物」ができると言う訳です。

つまり

 

愛されたいと願うなら

「愛される自分を受け入れるスペース」が自分の中にできているかどうか確認するのが先。だと言うことです。

 

2020.11.14

大きな「マ」が表れでてくれました。

その「マ」にふさわしいモノをこれから丁寧に創り上げていきます。

 

始まりは美しい夏空に緑。

そして、それに癒された自分と「つながる振動」

きっと、この思いはその日に繋がっていくはずです。

 

「曖昧で在る」ことが大切 中途半端が完璧

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こんばんは

今日もこんな時間になりました。

ご訪問ありがとうございます。

今日はどんな一日でしたか??

 

太陽が燃えています。

今日の夕方の太陽です。

暑い日々が続きますね。

寒いより暖かな方が好きなのですがこの暑さで毎日クーラーの中。

小さな頃の非日常的な必殺酷暑ディが もう毎日のようですから

クーラーがないと生きていけません。

あの頃は、31度超えてもニュースになっていたような気がする。

いい時代だったんですね。

時代はどんどん極限に向かっているような気がします。

 

「思い」が現実を創る。のと

見えない世界で構築されたモノを感じるから「思い」が出てくる。

 

とか

 

つながる地点に着地する。のと

着地するからつながる。

 

とか

鶏が先か卵が先か。

の話ですけど

世界は「振動のるつぼ」だとしたら 

多分 ほとんど同時にそれは起きている。はずで、

つまり、鶏も卵も同時にこの世に表れでたような感覚。

 

カタカムナという世界観を知ってから

「正負の法則」ではなくて

「正反の法則」なのだと認識しだしました。

つまり、物事には、正反対のものが同時に存在している。

電気もプラスとマイナスが繋がるから点くように

ベクトルの方向性が違うものが同時に存在している。

 

 

表れ出るもの があれば、消滅していくもの も在る。

というか、消滅したように見えて「見えない世界」に表れでるモノたちというか。

これ 結局 どちらも違う世界に表れでていて

同時に、どちらも違う世界へと消滅していることになります。

つまり、自分はどちらの世界にいるか だけなのだなぁと思うわけです。

 

 

正負の法則 少し流行りましたね。

いいことがあれば悪いことが起きる。

私も常にそんな二元性の中にありましたけど今は少し違ってきました。

何をいいこと と 認識し

何を悪いこと と 認識するかは

その人、その人によって違う。

全ては「捉え方」次第なのだけど、その捉え方も体験の数で変化していきます。

体験の数の多い人ほど感情の起伏が緩やかで

体験の数が少なければ少ないほど感情が大きく揺れる。

そんな気がします。

 

 

体験の数はおそらく闇を光に変える振動を生み出しているような気もします。

わからなかったことがわかったり、

認識していなかったことを認識したり、

人の気持ちが急に理解できたり

その人の笑顔が急に暖かく思えたり。

それは 何かがこうなったからじゃなくて

何かの反作用でそうなっているような。

 

答えを探し、原因を突き止めたり、着地点を探し求めたりという

結果ばかりを追いかけてきた時間だったけど

求めることで、求められないものを生み出していたり

求めないことで、求められる答えが出てきたり

とどのつまり
「曖昧で在る」ことが大切だったりするのかもしれない。

そんなことが今日はテーマな一日でした。