タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

なんどもなんども 繰り返すコト なんどもなんども。 誰のためでもなく、 これしかできないことが、大切な私の「できること」です。

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こんにちは

ご訪問を ありがとうございます。

 

今日も良いお天気です。

たった今の空。

冬の澄んだ空も大好きです。

 

今朝、読んでいた本に アロマベラの創始者であるマルセル・ラバブル氏の

言葉が掲載されていました。

 

人が過去に使用していた方法を植物は記憶しており

同じ目的で使用するたびに

その「記憶」が強化される。

 

形態発生の分野では

完全に新しい情報が加わると地表に小さな溝を作る。

新しい情報を使うたびに

その溝は深くなり、それはどんどん深い谷となる。

実はその事は、次世代の人がそれを利用するのを容易にしていく。

 

つまり、

ヒーリングに植物の波動を使うたびに

他の人も植物をヒーリングに使いやすくなる。

 

これは 何に対してもそうなのではないかと思います。

 

繰り返し繰り返しの行動

繰り返し繰り返しの想い

繰り返し繰り返しの思考

 

それらは 小さな溝を作る。

 

それは、とりもなおさず

自分のためだけのことだと思いきや

同じような行動

同じような想い

そして 同じような思考を持ち続けている「誰か」とも

見えない力で繋がっていて

大きな目で見れば

次のステージへの「開けゴマ」をともに動かしているということ。


そうなんだと思って

次の扉を開いたら

 

進化とは「私のため」だけの願望に飽きて

より大きな「みんなのため」の願望に目覚めていくこと

 

こんな一文を見つけて  何かが繋がっているように思いました。

 

誰かのため とやっていることが 自分のためだったり

自分のためばっかりで エゴむき出しで

こんなんじゃダメだなぁと思っていたりすることが

以外に、誰かのためになったりと。

 

結局のところ

「考えなくていいんだな」と原点に戻りました。

 

やりたいように生きる。

自分のその時の本音を大切にする。

 

それは、一見 危うく「裸の王様」かも なんて不安になるけど

現実社会 この三次元は 大まかに言えば「実験の場」

宇宙的発想で観れば、取り返しのつかないことなど きっとない

のではないかと思うのです。

 

 

それでも、今朝の二つのこの言葉は

私の中で響きました。

 

誰かのためと思わずにやっていることでも

誰かのためになっているこの場所。

自分のためにと、深く深く追求していることが

何世代も先の人たちのためになっていたりすること。

 

自分のためにだけ祈ることに飽きて という

この「飽きて」にも、深い意味があるなぁと。

 

カタカムナ的に言えば

この「あ」という言葉には

ヒフミヨイ ムナヤ と一回りしたエネルギーは

コトで、真ん中に入り
そして 今度、外に出てきたときは

ヒではなく ア になります。

 

で、ア  は「高次の」とか「一回り上の」なんて思念があるのですが

アキル って なんかネガティブっぽいイメージがあるのですが

やり尽くして次に行くって感じなのですよね。

 

なんどもなんども 繰り返すコト

なんどもなんども。

誰のためでもなく、

これしかできないことが、大切な私の「できること」です。