タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

意識の誤作動を微調整してくれる風。繰り返し繰り返しつながり続ける響きの中で。

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おはようございます。

 

しばらく 更新が途絶えました。

 

魚座新月から立春に向けて

リセットするために、遠出中です。

 

デスクワークの日々で引きこもりがちの生活から

次のステップのためと

それから、青空と海の写真を撮りに、海を渡りましたが

あいにくのお天気続き。

全く 思うような写真が撮れず。

残念。

 

本当に束の間の晴れ間。

絶えず、空には分厚い雲が覆いかぶさっています。

 

それでもここの海は青い。

 

綺麗です。

 

戸外で目を閉じると

「風が木々を揺らす音」と「海の波の音」が同じだと気づきます。

 

海が近いわけでもないのに

どうして、波の音がするのだろうと不思議でした。

風が木々の葉を揺らす音だと認識した時、

10年近く前、奈良の玉置神社の山頂で聞いた波の音を思い出しました。

あの時も、今と同じように

なんで、波の音がするのだろうと不思議に思ったのでした。

 

全てはつながっていて存在する。

全てのものをつなげる存在がある。

海も山も空も風も似たような音を響かせているのです。きっと。

 

その「似たような響き」って

どんな音なんだろうかと、考えています。

感覚的には、なんとなく理解しているつもりですが、

それを言葉として「認識」するには

私には少しだけ努力が必要です。

 

今の私には

なんども繰り返し繰り返し繰り返しつながり続けていて、

なんどもなんども終わらない響きは

不思議に、気持ちを落ち着かせてくれて

細胞が広がっていくというか

意識の中の誤作動を微調整してくれるように感じます。

 

まるで

吸っては吐くという、生きている間は永遠に続く呼吸の音とよく似ている。

人間の呼吸の響きも同じなのかもしれません。

 

本当は永遠などなく、

いつか、この肉体も海も風も途絶える時がくるからこそ

繰り返しのリズムが安心感を与え

永遠性を求める心を満たしてくれるのかもしれません。

 

「今」の存在が果てしなくつながって欲しいと思えるのは

「今」の自分が満ちているから。

 

久しぶりに外に出て

人に繋がると

いろんな意味で、刺激になります。

 

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この海、ないでいると思って近寄った途端に

洗われました。

ビッタビタ。

ジーパンも靴も。

まさかのまさかです。

 

山か海かと言われれば、断然、海の私。
水があったら入りたくなる私ですが流石に、この寒さと強風。

水の方から、ご挨拶です。

びたびたのまま、

海を山をドライブして、
現地の人と時々、会話して、

普段は見ないCMに触れ、

食べなれない食事をして。

 

かつて、そんな旅をしている人の話を聞いて

すごいなぁ。

かっこいいなぁって思っていた、その時間を

今、過ごしている自分に気がつきます。

 

つながり続ける振動は、

まわりてめぐる。

いつしか、自分もその中に。

 

気づきも果てしなくまわりて巡ります。

 

立春の前、

小さな自分と大きな自然を感じるには最高のタイミングでした。