タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

「言葉には限界がある」

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こんにちは

 

ご訪問ありがとうございます。

 

ここ愛知は「春の嵐」ではない、「冬の嵐」です。

朝から 大雨の後 快晴になったと思ったら

今度は大風です。

 

雨水を溜めたガラスのお皿で

大事なクリスタルたちを水浴びさせてやりました。

綺麗だなぁと、しばし、私も休息です。

 

最近 色々と

いろんな本を読んでいて

あぁ そうだなぁって思うことばかりで

後から、そういえばこの話はどこに書いてあったんだっけ と思って

色々と探すんだけど どこにもなくて

「あーれ、夢の中での話だっけ??」と

だんだん わけがわからなくなって来ることが頻繁です。笑

 

多分、今朝。

解釈のことが書いてあって、

「同じ現象でも、見る方向が違えば全く違うものとして捉えられる。」

 

確かにこれ、私はずっと伝え続けてきたことだし

カタカムナを知ってからは 

おんなじことでも、エネルギーの形が見る方向によっては違って見えるから

違うもののように捉えられることも知りました。

 

その書籍は(多分、本)そのことをより詳しく伝えてくれていて、

たとえば 

「見つめられる」という一つの現象に対して

・あの人は私のことが好きなんだ という見え方 と

・なんか嫌な感じ    という見え方

さらには

・なんか言いたいことでもあるのかな という見え方

 

自分の心の持ちようによって様々な受け取り方が出来ていくのですが

それは

見つめた方の発し方ではなくて

見つめられた方の捉え方によって意味が発生する。

 

本当にその通りだと。

そして、ただ 単にそれは

「良い誤解」と「悪い誤解」でしかないのだと言われていました。

良い誤解と悪い誤解。って

それどっちも「誤解」な訳です!!

 

本当に、確かに、発した方の全てを受け取ることなんて

絶対の絶対にできない。

どこまでいっても 自分のフィルターを通しての「その感じ」

そしてまた、それを伝える時も

どこまでいっても 自分のフィルターを通しての「この感じ」

 

関西のノリでよくある

「もう とにかく 面白いねん。見ておいで」

やら

「もう とにかく 美味しいねん。食べに行っといで」っていう

あの無責任な感じは、正解なんだなぁ。

 

「言葉には限界がある」

つまり、そういうことです。

だから、その言葉に乗っている「雰囲気」「波動」「振動」

そんなものを感じわける、嗅ぎ分ける、聞き分ける、

そんな能力が 大切なのかもしれないですし、

また、発する側は

言葉を発する「本体」の自分の心地や雰囲気や波動や振動がどうであるかの

影響のポイントが結構大きいのではないかと思うのです。

 

どんな時に断りの言葉を発すればいいのか。

どんな時に「怒っているよ 私」メッセージを送ればいいのか。

自分を客観的に捉えて

そのタイミングが図れるようになったら

コミュニケーションの達人になれるかもしれません。

 

最後にポツリ。

 

私は まだまだ だなぁ。