タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

遮りは神 無意識の整え方はただただ 感動し続けていけばいい。

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カタカムナ

 

「生きるとは感動すること」

わかっているようで 気付いてないことに気づかせてもらってる。

 

生きること = 感動 の方程式は理解していたつもりだけど

感動が振動であること

振動が光を生み出すこと

闇が振動すると光になること

ゆえに

闇は 門構えの中に音という字を書く。

 

闇があるから光がある と二極性の性質について話すことがある。

でも

本来はそうではなくて

光は闇が振動するから光になる。

故に闇があるから光がある

ということになる。

 

どうやって光を生み出すか。

振動することで光が生まれ

感動することで振動が起こるとしたら

深く深く日々感動に打ちのめされることだ。

 

感動の質を高めることは

振動の質が高まること。

振動の質が高まるということは

おそらく 無意識が整っていくということなのだと感じる。

 

些細なものに感動し 涙に震えていけば

内在する闇の中にある振動のタネは振動を発揮し

光の下に映し出される。

 

そんな時に邪魔するのは

常識だったり倫理だったりに代表される意識 エゴ。

 

結婚したいと願いながら

その実 無意識では 結婚を拒否している意識があるとしたら

どんなに引き寄せの法則を使おうとそうはならない。

たとえ 結婚したとしても 

一人で生きる決意をしている無意識は結婚生活を破綻させていく。

 

無意識が整えば

結婚したいと思わなくなるのかもしれない。

あるいは 無意識の中にある一人で生きる決断が光の世界に放出し

その決断がなくなってしまうのかもしれない。

 

反転して闇が光になるためには

膨張する思いが爆発するまで

いろんなものを詰め混んで 詰め込んで

朝のラッシュの満員電車のような、そんな思いの袋を

抱え込んでいく。

 

だから 「遮りは神」なのである。

 

逃げ出さず、向き合い、抱え込み、すったもんだして

これでもか これでもかと詰め込んだもの

その 袋である遮りが破れなければ 思いは反転して光の下に現れでない。

 

人は

無意識が選んだ道に

不平不満を言い

悪口を吐き

そして 終いには逃げ出す。

自分が選んだものなのに

人のせいにして

仕事のせいにして

「ここに自分はいてはいけない」とか

「今はここじゃない」とか勝手な判断で

自分を正当化して

その「遮り」から遠ざかる。

 

無意識が神

 

生存している時には 決して受け取ることのできないその無意識が

自分の根源であり

自分の夢を叶えるグレートティーチャーなのである。

 

全てに意味がある

 

それは、まさに無意識である神が

無意識の闇が

「夢を生きる意味」を伝えるために手渡してくれている環境・状況だと思えば

確かに全てに意味がある。

 

何かを叶えるために どうしたらいいか ではなくて

つまりは

ただ ひたすら 自分を感動させるものを探しつくし

あるいは 目の前のことを ひたすら感動しづつけていれば

無意識は整い 振動が思いを光に変えてくれる。

 

今日も自分を感動させてやろう。

 

 

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