タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

生まれ落ちた「トキ・トコロ」は 人生の振動の始まった場所 生まれ落ちた場所の振動は 人の思いの根底で響き続けるのかもしれない。

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おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

飛行機が好きなんですよね。

多分、高いところから見る風景が好きなんだと思います。

いつもとは違う視点。

この高さは遮るものがありませんから。

 

あー 空も海も大地もなんかみんな青いって深い部分が振動しちゃいます。笑

 

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社日 

雑節の一つで、産土神(生まれた土地の守護神)を祀る

古代中国由来ですが、産土の神様 今でも結構大切にされていますよね。

カタカムナを学んでなんとなくふんわり理解できるのは

生まれ落ちた「トキ・トコロ」は

人生の振動の始まった場所だということ。

最初に息を吸ったその場所の波動はもしかしたら何かその後の人生に影響を

及ぼしていくのかもしれないなぁと思います。

私は大阪生まれなのですが

大阪に帰る時にいつも感じるのは

ここはなんて「自由」なんだろうということ。

その場から離れて初めてわかることもたくさんありました。

その自由な振動が、遮るものがない風景に恋焦がれるのかもと。

 

生まれ落ちた場所の振動は

人の思いの根底で響き続けるのかもしれない。

そんなことを思います。

 

そんな自由なモノであるはずの「私」が

終えていこうとする振動に息を吹きかけることがあります。

それは、嫌悪感や悔しさや理解してほしいという思いの顕れとして。

つまり

恨み・ツラミです。笑

 

光の材料は「終えていこうとしている振動」

それは圧力がかかってぎゅうぎゅう詰めになった闇の正体。

つまり恨み・ツラミは「光の材料」な訳です。

いつまでたっても「ひかり」になれないそれらは

いつまでたっても「気圧の低い闇」

気圧の低い闇がずっと漂っていたわけです。

台風になる前に手放せたら。

 

 

 

過去の自分を写真にする。

感情が渦巻く間はまだまだ写真にはなっていかないものです。

感情、エゴが消えたら、動画から写真という一枚の風景にしてしまうことは可能になる。そう思ってきました。

 

 

消してしまいたいこと

思い出したくない人

これら全部、感情という響きで裏打ちされています。

感情は圧力だからぎゅうぎゅうと押し込んでくれている。

圧力がかかりきって飛び散った振動のひとつひとつは

思いの中で「写真」のように存在していくような気がします。

時には取り出して

「ああ こんなこともあったなぁ」とか

「この時こんな風に思っていたんだなぁ」って思えるようになったら

その「響」はすでに自分と切り離されたところにある。

 

段階やステージが変わる「とき」

人の出会いはそんな「とき」の中で繋がり続けます。

仮面を被り、作り上げた自分を生きていた私が

自分というものの本質を強く振動させたら

起こってくることは、

いいことと捉えることもたくさん

嫌なことと感じることもたくさん。

なぜなら、

仮面が分厚ければ分厚いほど、台風の威力は凄まじいから。

変わろうとした時に、それは起こってくるのですよね。

 

繋がり続けることと絶ちきっていく流れは

自分であり続けることで起きてくる現象化に過ぎないのかもしれません。

生まれ落ちた時・所で初めて息を吸った。初めて吸い込んだ振動を感じてみる。

自分であることの原点を思い出します。