心持ちで全てが変化する。幸せもラッキーな自分も心が作り上げてる空間の音。
気持ちのいい季節が続きます。
梅雨なのに。
寒いぐらいです。
お久しぶりです。
超絶 忙しかった。
びっくりしますよ。
朝になったのに あっという間に夜です。
それでも 以外に楽しいハッピーな時間を積み重ねられていて
嬉しい響きなんですよね。
「忙しい」
って響きは。
知り合いに
「超絶忙しくて」なんて言うと
ふたパターンの答えが返ってくることが多いです。
「私もさ 寝る暇もないぐらい忙しくて忙して。」
そして この後 どれぐらい忙しいかの説明が続きます 笑
もうひとつのパターンは
「そうなんだ。そんな人生を選んできたんだよ。
あなたらしくていい。
『超絶』が次どうなるのか楽しみだわ」
ふむふむ。
どちらも心が温まります。
後者の方は決まって最後に
「体だけは気をつけて」と付け足されるのですが
愛を感じちゃうのですよね。
そんな一言に。
「忙しい」は 心を亡くすと書くけど
つまり 心をなくさなければ「充実している」に変化する強者。
心で同じ事実が、違う真実に塗り替えられるわけですね。
今、私は「充実してる時間」を積み重ねているわけです。
言葉の向こう側にある風景は
その人の心持ちで違うものを見せてくれます。
「こころ」とは
転がりでたり入ったりする空間
美しいものが 楽しいことが 歓喜や 感動や喜びが
はたまた
悲しみや怒りや切なさや儚さが
転がり入り そして 出て行く場所。
その空間をどんな空気が満たしていて
どんな風が吹いていて
どんな色をしているのかを
客観的に捉えられていると
今 何が起きていて、それがどんな風になって行くのかわかるんだけど
どこまでも主観を外すことができなくて
本体の分かりづらさがありますよね。
でも
それでいいんだと師匠は言います。
それで そのまんまでいいのだと。
全てを楽しめば。
余すところなく
やりたいことをやるためにここにいるわけだから
全てをただひたすら
楽しめばいいのだと。
スマイルになることでいっぱいにする。
少々無理しても
行きたいところには行き
食べたいものを食べ
読みたい本を読んで
やりたい仕事をする
夜 眠りにつくときは
何も考えることもなく あっという間に
夢の世界に旅立ち
朝 太陽と共に目覚め
知らない間に洗面所で歯を磨いてる自分。
1日を振り返ることなく
まるで 振り切るように生きていますけど
それを
「それでいいのよ」と言われた時
なぁんだ
そうだよねって。
主観が変化していってる最近です。
鬱々
ジメジメ
あぁ しんどい が出てこなくなった最近は
このお天気のように清々しい。
心のありようで 姿は変わってしまうのですね。
ならば やはり 全ては自分次第なのです。
neverLandはこんな場所です。
鬱々としていた私がここにいます。