タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

10年前のあの日

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おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

電線だらけの写真。

我が家の周りは電線に囲まれています。

 

今朝は空が燃えて真っ赤でした。

そのうち 雲に隠れて真っ白になってしまいましたが…

 

 

10年前の今日 2/15

旦那さんである「人生の同士」が亡くなった日です。

まぁ 毎年、特別な日なのですが

今年は特に

あれから 10年の節目。

 

大学で出会ったのですが

彼は同じ軽音楽部で、同じバンドのドラムを担当していました。

最初は、兄弟のように存在して

氣がついた時には大事な人になっていたような氣がします。

 

お別れの日 

そう、つまり10年前、私はそばにいませんでした。

それは、きっと彼なりの私へのエールに違いないと確信しています。

最期のタイミングは今じゃない。

次に出会えることを期待して、お預けにしておくから。

そんな、意味だと。

 

複雑な雰囲気で旅立った彼でした。

亡くなったことで、いろんなものを見せてもらいました。

「(私の)両親を呼ばないでほしい」

「(息子が死んだことを)周りに知られたくないから、

  私の父が亡くなったことにしてもらいたい」と

彼の両親に、そう伝えられたお通夜の席を忘れられません。

 

私の両親は 

私の旦那さんが亡くなったことを知らず

この10年の間に旅立っていきました。

向こうで出会って驚いているかもしれません。

 

10年。

湧き出すいろんな思いを抱えながら

今も、彼のお母さんと同居しています。

「許し」を学ぶ日々でした。

 

これだけ聞けば、なんてこと!!!となるかもしれませんが

究極の許しは「旦那さんである同士」を選んだ自分に対するものでした。

 

強くあるために

自分を生きるために

最高の自分に出会うために

居てくれた人だと 今は強く思います。

全てを肯定することを、学ばせてくれた。

最後の姿は見せずに、

「ここからは独りで歩いてゆけ」と言われたわけです。

 

こんな形で居なくなったわけだから

絶対に「いい方向に」導いてくれると確信していましたが

どうやら この10年

本当に色々と考えさせられることが多くて

亡くなった人に守ってもらってるという幻想をも捨て去ることになりましたが

それさえも 大きな目で見れば

育ててくれてるのね。ありがとう。なのかもしれません。

 

 

 

これからが本番。

2月の頭からの現実を突きつけられてふと 思い出します。

亡くなる3日前に言われて、心底びっくりした言葉。

「お前ならできる。心で生きてるからな」

 

朝焼け。

新しいこれからを受け取った今日の朝でした。

 

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