空間を切り裂いて花を咲かせる桜のように
こんにちは
ご訪問ありがとうございます。
沖縄の桜綺麗でした。
少し早めの桜を堪能しました。
八重山桜です。
散る時にハラハラと散るのではなくて
ボトッと落ちるのだとか。
それでか、沖縄の人たちは花見をしないと聞きました。
この日、一雨、降った後の八重山桜はしっとりとして
可愛い色を放っていました。
八
八百 八千代
八 ハチにはたくさんという意味があります。
この桜を見ていて
八の向こう側に存在する
見えない世界を感じました。
見えない世界は たくさん。
無限に広がっていて如何様にもなる。
サクラ は
冬の厳しい「場」を割いて自由に出てくる。
葉より先に花が咲く植物。
その季節を「始まりの時」に設定した先人たちの思い、
そう思うと励ましを感じるのは私だけでしょうか??
我が家の前の桜も、まだまだ先の開花を前に
今年はかなり蕾が膨らんできました。
もう咲くという寸前
パンパンになった蕾の時、
開花前だというのに辺りが桜色に染まるように見えてきます。
春が来たなぁという安堵感と
そして
季節が変わるという安堵感
厳しい季節を抜けて、
厳しい季節を生き抜いた、達成感と喜びを
何かこの季節に感じてしまうのは
古代の人たちが残した思いの振動だろうか。
そんなことを思います。
九州の大地。
空から見た風景。
桜島が噴煙をあげていました。
沖縄に行って
自分の過去を振り返ったことで
足を運びたいところが山のように出てきました。
日に日に自分の内側の情報が書き換えられていきます。
めまぐるしい時間の波に存在していることを思うと
今年の1月の停滞感はこのためだったのかとわかります。
静かな時には、慌ただしい日々を思い
慌ただしくなると、静かな時を思い出す。
いつでも 正反性の中に存在して
これがいい、あれがいいってやっているのです。
反の世界に向かうとき
停滞を感じるのではなく
対流を感じられるようになれば
焦らなくて済むことを学んだようです。
それは、天然であることにつながるかもしれません。
考えなしで動くこと。
吉田松陰がたまらずに黒船に漕ぎ出していったように、
時にそれは、たくさんの人たちに迷惑がかかることだったり、
人としてどうなの??と言われてしまうことにつながるかもしれないけど
止めようのない自分の内なるヒビキに
赤子のように手を引かれて進んでいくイメージで
「赤ちゃんだから、大人の考えはわからない〜」
なんて感じでいけばいい。
焦らずに、
空間を切り裂いて花を咲かせる桜のように生きていきたいものです。