タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

根源である大いなる私の「ヒ」(火 霊 陽 ) ミックスされて 回転して振動を起こし続ける。

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昨日も綺麗な夕焼けだった。


同じような写真ばっかりになって仕様もないと思っていても
空がオレンジに染まってくると居ても立っても居られなくてカメラを向ける。
この時の光はこの時にしか存在していないようで
写真には振動が残っている。

 

「振動 振動って言っていたら
 神道の葬儀しか来なくなりました。」

と ワークの生徒さんにあったら言われて、笑った。

その方は葬儀の司会をされている方で、亡くなったご遺体を前に魂が聞きたい話を
遺族の方から聞き取りをされるという深い仕事に従事されている。

確かに、肉体があった時にはしないストーリーは

肉体がなくなったからこそ身近な人が口を開いて話してくれるものかもしれない。

「魂に聞かせてあげたい。」

そして、こんなこともあったわねぇの話を
遺族の方の魂にも響かせてこれからの未来を生きてもらえるようにと願われている。

 

珍しいのだそうだ。そういう司会者さん。

主人が亡くなった時に担当してくれた統括の方は

まだ仕事をされて間もない若者だった。

どういう葬儀にするか主人の母と大もめに揉め大変だったあの冬の夜

彼がトコトコとやってきて力強い一言をくれたことを覚えている。

 

「僕は決定権は喪主様にあると思っているのでどんなことも遠慮なく、ご相談ください。」

僕はあなたの意見に従います。 とでも言わんばかりの眼差しで。

 

強くなれた瞬間だった。

 

相談したい相手は棺桶の中にいたから、ひとりだと感じてた。

そんなどうしようもないと不安な雰囲気が一気に晴れた。

私のしたいようにしよう。

 

その時の一瞬の出会いからその後 一周忌の時にご挨拶の手紙がやってきた。

悲しい思い出からは解放されましたか というような内容だった。

昨日の彼女をみていても思う。
そちら側にしたら日々そんな中での一期一会で流れていく風景もあるだろう。
でも、こちら側にしたらそんな時だからこその一期一会の振動は

絶えずここにあるのかもしれない。

写真の中に残る震えのように。

 

全ては振動だと認識しだしたら

何もかもが自分とミックスして生み出す力を携えていることに気づく。

たった一枚の写真でさえ、何年も前の手紙でさえ、その時の振動を残し続けていることも。

少し前に大掃除で大量にものを処分したけど

それは、

今 自分に必要な振動のものだけを残した作業だったような気がしてきた。

未来を作るための。

次を生み出すための振動しか残らなくて、そして、それもまた、
必要なくなったら、大掃除して手放していくのだろうなぁ。

根源である大いなる私の「ヒ」
回転して振動を起こし続けるもの。