タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

1番欲しいものが手に入らないという思い込みは  1番欲しいものが手に入ると、都合の悪いことが起きるということだよ。

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おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

昨日はハートフェスタに出展の方のイベントに参加するために名古屋に。

行く前にスタッフとちょいと一杯。

病み上がりから完全復活とばかりに入ったお店が 超素敵でした。

 

フラスコの中に入っているのはオリーブ。

キンキンに冷えたオリーブは甘じょっぱさが私好みで

いきなりノックアウトでした。

 

 

 

急速に秋に向かっていますね。

虫の声が盛んに秋を告げてくれています。

季節が変化するように人生の流れも大きく変わっていくのを感じる今年になりました。

 

来年 2020年はやっぱり大きな「約束の年」のようで

その「意味」をヒシヒシと感じざるを得ない現象化を見せてもらっているようなそんな気分です。

急速な変容は、現実的なことを考えると

面倒なことや、

お金がかかることや

時間のかかることを体験させられるけど

未だ開かない、掌の中に握り締めた「未来の青色写真」に刻々と近づいていると思うと

面倒なことは面倒なことでなくなりますね。

 

少し前にみんなで見た「マトリックス

映画の中で主人公であるネオが訓練中に先達に言われる言葉があります。

 

「疑え 信じるな そして 確かめろ」

 

「信じること」が 現実を創ることを伝えられてきた私には衝撃的なセリフでしたけど

そのあとに続く「確かめろ」という振動自体は

「すでにそこに在る」と同じもののような気がします。

 

掌に握り締めた「未来」は信じなくてもそこに在るんだね。

という感じでしょうか。

 

その中身は今の自分には想像以上のもので在るかもしれない時に

「信じる」行為は今の想像を固定化してしまうことかもしれないなと

その時マトリックスの世界で受け取りました。

だから信じるという行為自体をも解き放って 

掌の中にある「未来」を確かめろ ということなのかと。

 

そんなことを思ったのは、8月も末の頃の話です。

加えて

変化ではなく変容を!!とも思ってきました。

変わり化けることは、いつしかまた元に戻ることもある。

でも 

変容という自分の容れ物自体を変えてしまうことは、

戻る容れ物を存在させず、知らない自分を生み出すに違いないとも。

 

振り返ってみると、どれほど、自分の気づくことのない「無意識の中にある自分」に出会いたいのだろうかと感じます。

 

あれから2週間ほど。

見事なまでに出逢わなきゃいけない人に出逢い

出会わなきゃいけないことに出会い

自分ではない自分を体感したことか。

 

きわめつけは九州から来たカタカムナの同期生の言葉。

「1番欲しいものが手に入らないという思い込みは

 1番欲しいものが手に入ると、都合の悪いことが起きるということだよ。

 あなたにとって、その都合の悪いことってなぁに?」

 

なるほどなぁと思うのです。

固定ピンで留め続けてきた自分を感じます。

そして、留め続ければならなかった自分も感じます。

人の期待に応え

人の思いに応え

人の思惑の中で生きた方が楽なことを知ってしまっている虚構の自分を壊すとき。

感情を解き放って、何がおきてくるのかだけに心を奪われていたい。

そう、願います。