タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

「曖昧で在る」ことが大切 中途半端が完璧

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こんばんは

今日もこんな時間になりました。

ご訪問ありがとうございます。

今日はどんな一日でしたか??

 

太陽が燃えています。

今日の夕方の太陽です。

暑い日々が続きますね。

寒いより暖かな方が好きなのですがこの暑さで毎日クーラーの中。

小さな頃の非日常的な必殺酷暑ディが もう毎日のようですから

クーラーがないと生きていけません。

あの頃は、31度超えてもニュースになっていたような気がする。

いい時代だったんですね。

時代はどんどん極限に向かっているような気がします。

 

「思い」が現実を創る。のと

見えない世界で構築されたモノを感じるから「思い」が出てくる。

 

とか

 

つながる地点に着地する。のと

着地するからつながる。

 

とか

鶏が先か卵が先か。

の話ですけど

世界は「振動のるつぼ」だとしたら 

多分 ほとんど同時にそれは起きている。はずで、

つまり、鶏も卵も同時にこの世に表れでたような感覚。

 

カタカムナという世界観を知ってから

「正負の法則」ではなくて

「正反の法則」なのだと認識しだしました。

つまり、物事には、正反対のものが同時に存在している。

電気もプラスとマイナスが繋がるから点くように

ベクトルの方向性が違うものが同時に存在している。

 

 

表れ出るもの があれば、消滅していくもの も在る。

というか、消滅したように見えて「見えない世界」に表れでるモノたちというか。

これ 結局 どちらも違う世界に表れでていて

同時に、どちらも違う世界へと消滅していることになります。

つまり、自分はどちらの世界にいるか だけなのだなぁと思うわけです。

 

 

正負の法則 少し流行りましたね。

いいことがあれば悪いことが起きる。

私も常にそんな二元性の中にありましたけど今は少し違ってきました。

何をいいこと と 認識し

何を悪いこと と 認識するかは

その人、その人によって違う。

全ては「捉え方」次第なのだけど、その捉え方も体験の数で変化していきます。

体験の数の多い人ほど感情の起伏が緩やかで

体験の数が少なければ少ないほど感情が大きく揺れる。

そんな気がします。

 

 

体験の数はおそらく闇を光に変える振動を生み出しているような気もします。

わからなかったことがわかったり、

認識していなかったことを認識したり、

人の気持ちが急に理解できたり

その人の笑顔が急に暖かく思えたり。

それは 何かがこうなったからじゃなくて

何かの反作用でそうなっているような。

 

答えを探し、原因を突き止めたり、着地点を探し求めたりという

結果ばかりを追いかけてきた時間だったけど

求めることで、求められないものを生み出していたり

求めないことで、求められる答えが出てきたり

とどのつまり
「曖昧で在る」ことが大切だったりするのかもしれない。

そんなことが今日はテーマな一日でした。