タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

痒み 結果ではなく プロセスを認めて許していきたい

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こんばんは

ご訪問ありがとうございます。

 

今日はこんな時間になってしまいました。

かたかむな講座終了後

打ち上げの最中から腕が痒い。

ゴシゴシ書いていたら蕁麻疹で昨日もポツポツ

いよいよ 本格的に痒くて仕方がなくなった昨日の夜。

ほとんど眠れず、両腕ボロボロ

皮膚科に行こうかと思いましたが、そういえば師匠の啓子先生が言ってた。

「浄化は肌から放出するのよね」

っていうか、そういえばアーススクール終了後 沖縄から帰ってきたときも

確かボロボロになっていたなぁと思い出して

日光アレルギーだと不意に確信しました。

だから、洋服から出ているところだけが痒いのか。

肌の柔らかいところはなんともないのに不思議だなあと思っていたのです。

 

これは薬で抑えちゃダメだなと覚悟を決めました。

 

体のことは無頓着で、沖縄から帰ってきてから両足にボロが出ていることに

気づいていたけど、あまり気にしていませんでした。

今日はお日様が珍しく出て、青空でしたが、半袖の腕にはヒリヒリと痛く

太陽大好きな私は、さて困った。

 

現象背後で何が蠢いているのやら。

深く考えてみましたが 思い当たることなど

・体を大切にする

・体から信号を見落とさない

程度の浅はかな答え。

そんなんじゃないやろ と思い返し。

平成から令和になり、

世間では時代が変わったとともに 隠していたものが飛び出していく次元が

次から次へと。

真実が飛び出すために、いらないものが出ていく流れを体験させられているのだろうかとふと頭をよぎります。

それに気づかないから、肉体的なことで私に分からせるために???

 

ドイツの教会が境界線で、

あの頃まで、こんなでも諦めグセやら、気の小ささや、あることに対しては妙にネガティブだったりしたものです。

それを間近でみていた人たちは、何が私の本当か分からなかったかもしれませんが

どれもこれも全部私だったと今ならいえます。

そう、今なら言えるようになったというか、

その時は 何か言われるたびに、そうじゃいけないのかとまた自分を変えるから

さらに、本当の私はどこなの??状態だったのかもしれません。

 

でも、人って、ブレないでいられるような人 いないんじゃないかと思うのです。

というか、ブレブレで何がいかんのか と 今は思うというか。

言っていることとやっていることが 全く同じ人なんてこの世の中にいない。

意識で こうありたい と思っていても

無意識では こうではない行動を示す生き物が人間なのですから。

でも その向こう側には

こうでありたいと一生懸命生きている「人間」がある。

結果ではなく プロセスを認めて許していきたいと今なら思えます。

 

肌の痒さは不必要なコントロールを手放す流れ。

自分を許すことで人を許せる自分を誕生させるための通過点かもしれないなと思います。

とはいえ、痒い…

いち早く 手放せますように。