未来のタネ は 今の振動。空のように自由である!! 今は常にそれを振動させています。
おはようございます。
ご訪問ありがとうございます。
見せていただいています。
現実の社会に起きていることは、すべてが未来のタネですね。
自分がどこを選んでいるのか、見せられているような気がします。
現実社会は本当にわかりやすくてありがたい。
よく聞かれることがあります。
「未来は決まっているのでしょう。
生まれる前に全部決めてきたのですよね」
最近の私は 「ノー」と答えることが多くなりました。
一昨日もそんなことがありまして
「ノー」と答えた途端に 目を丸くして「良かった」と笑顔になる方を見て
少し嬉しくなりました。
すべてが「振動」であるということを認識して
そして
そうであるに違いないと確信しだしてからは
「未来」は今の振動からしか生まれないと思い始めました。
故に
・未来が決まっている という人たちは「決まっている振動」が出ているから
「人生は決まっている」し
・未来などない という人たちは「今しかない」振動が出ているから
「人生はいかようにも変わる」わけです。
ここまで書いたら沖縄の啓子先生が言われる
「人生全て思い込み」というフレーズが脳裏をかすめました。
自分の人生は自分の思い込みでできている。
未来は確定したものではなくて自分の思いでいくらでも変わるんだ。
確かに宿命というような「宿る命」はあるかもしれないけど
(例えば中国何千年に裏打ちされる統計学のような占いなど)
運命は自分で命を運んでいくもの。
今まで消えていかなかった「過去」のある場面で刻んだあろう「命の刻印」を解放したらそのあとやってくる総仕上げ。それが
・未来は自分で決める
という、自分で自分の人生を選ぶ「責任チケット」の受け取りなのかもしれないと思います。
人に決められる
神に決められる
過去に決められた人生を生きることの方が
自分の責任において決めた人生よりずっと楽ですから。
もしか、嫌なことが起きても
「決まっていたからしょうがない」と自分を納得させられますものね。
それが必要な時もあるし、私も人生は過酷だと思い込んでいた時には
そう思えることが、とっても優しい開放でした。
今は、少し強くなれたのかもしれません。
2000年の沖縄のDr.Keikoとの出会いは、その過酷な人生の幕開けの時でした。
18年の歳月を経て昨年のドイツ行きから少しずつ少しずつ軌道修正をし
全てはこれからのためにあったと確信できる「今の雰囲気」でいられていることに
今朝 気づきました。
ミルフィーユのように折り重なった人生の中の
どこを選んでいくのか
自分に選択権があると思うことは自由であり責任があり身の引き締まる思いです。
ただね。
ここで断っておきますが、
書いてることと、行動が違っていることは多々ありますよ。
だって、聖人君子じゃあるまいし、私は「人間」ですから、
正直に、潔く生きたいと 願っているだけの話で
正直に、潔く生きている と 言う訳では決してありません 笑
ただ
空のように自由な存在である! と、いつも振動してます。