タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

空間には可能性が満ちている。 どの可能性を選び取るのかは「今」の中の振動でしかない。大好きの振動。

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一昨年、手に入れたユーカリ

ふさふさの大樹で、大切にするあまり本幹からでた葉が次々と枯れてしまった。

結構値段のはった立派なユーカリだったから

購入して2ヶ月もしないでお払い箱にするのが心苦しくて

そのまま放置して水やりだけを続けたら

太い幹の下の方から分かれ目ができて 新たに葉をつけてくれたユーカリの葉っぱが

梅雨の風に揺れている。

 

購入するときに一緒にいた人はこの後

まさに道を違えていく人だったから植物はそれを象徴していたのかもしれないと思う。

共に行く道は枯れ、枯れたと思いきや、脇から新しい空間に躍り出て新たに葉を広げていく。

 

 

空間には可能性が満ちている。

どの可能性を選び取るのかは「今」の中の振動でしかない。

 

魔法はかけるものではなくてかけられるものだと認識している。

私の人生が変化したのは

「こうであってほしい」「こうなりますように」がなくなった時だったように思う。

 

 

「自分」振動を発することで起きてくる様々な現象が

見えない循環を繰り返していることを思ったとき、

過去の自分にかけられている魔法の存在を知ったように思う。

 

求めない生き方というのか

求めるにしても どこにベクトルが向いているのか という感じかな。

 

「今」が「過去」になる「未来」の自分。

「未来」にとっては「過去」の「今」に、どんな振動を残していけるのか

それに徹するようになった。

時間の概念が希薄になったときに見えてきたものが「受け取れる自分」

それを未来に送り込んでやる感覚だったから

なおのこと、今が重要になってきた。

 

愛されることを求めるより「愛する自分」を選ぶ。

瞬間瞬間 「大好き」の思いを強めたら

周りには大好きなものしか存在しなくなった。

おそらく、昨年から続く大掃除はこのためだったんじゃないかと思う。

今、私の周りには必要なものしか存在していない。

大切なものより大好きなものが振動し続けていて

見えない空気さえも大好きを含んで存在してくれている気分。

 

受け取りの法則は「場づくり」なのだ。

「追い求める」のなら

「追い求められる場」である自分を作ること。

「大好き」の振動は間違いなくその「場」を作る。

手に入らなくて切なかったり

いつもうまくいかなくてしんどかったり

キラキラしている人のそばにいると悲しくなったり

おっかしいよなぁって よく思っていた。

その「思い」が未来を作るんだよというから

刹那や過酷や悲しみが存在するのに、それを感じながらも極めてポジティブであるように勤めても無意識のベクトルはありのままで姿を変えない。

なんなんだろう と ずっと思い続けてきた。

宇宙の真理は私には魔法をかけないんじゃないだろうか、と。

 

強さを手に入れることをきっぱり諦めた。

あるがままを信頼する。
「未来」にとっては「過去」の「今」をただ感じてやればいいと、素直に自分の空間に放ち続けた。

脇目もふらず、頑固なほどに「一人で生きる」と「一人でできる」という意識を貫いた頃

脇芽が出たんだよね。
面白いぐらいに「大好き」を簡単に循環させられる自分に出会った。

きっと強さも勇気も見えない空気中にある。

それが磁石のように自分に押し寄せるんだと認識したとき

「受け取ることの本当」に気づいたように思う。

 

空間には可能性が満ちている。

どの可能性を選び取るのかは「今」の中の振動でしかない。