タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

勇気を持ったらあとは集まる振動が集めてくれるものをただ 待てばいい。

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朝起きると雨の跡。

冷たい風が吹いて梅雨とは思えない天気。

快適さは自分のご機嫌につながるから、この気候が少しでも長い間続けばいいのにと思ってしまうけど、自然界に勝るものはなし。

 

陰陽ボール

カタカムナ学校卒業の時にお願いしていたものを

昨日届けていただいた。

 

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これが 勾玉の真実。

平面で書くと 


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立体になるとそれは、球であり、球。

シリコンでできていて

白と黒は取り外しができるようになっていて取り外すと

 

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単にかわいい。

 

そして 角度を変えると

 

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正面から見ると 創造の御柱 トーラスになっていることがよくわかる。

 

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よくできていて 来月からの講座では大活躍しそう。

今まで、手のひらで不思議な形を作って

で、りんごの芯だよーって言葉を使いながら説明していたけど

これで、簡単にイメージをつかんでもらえるはず。

この制作には、たくさんの方の振動が関わっていて大変だったことを聞いている。

熱い想いが結集して形になった球。

大切に届けていきたいと思う。

 

「百聞は一見にしかず」

 

本当にそう思う。

言葉の振動は、各々のそれまでの体験数がものをいうけど

目からの情報の振動は、それ自体が体験数になる。

 

 

今朝 ふと思ったのは

「つながる振動」が繋がったとき そこから始まるのは「集まる振動」なんだ。ということ。

誰かと誰かが繋がった時に起こるエネルギー交流は

陰陽ボールのようにしっかりと合わさって隙間がなくなった時

球 タマ (これをカタカムナ用語でマリという)になる。

エネルギーがそれぞれの「思い」だとしたら

「思い」が繋がってがっぷりよつで組み合わさったモノは

次には同じようなもの「思い」を集める磁石になる。

磁石に向かって、集まる振動。

 

陰陽は白と黒に分かれているけど

その境目の膜はどちらの色も持っている境界線。

切れてしまうと白と黒だけど

確実に接して繋がっている時にはここを埋めている隙間に

白でもあり黒でもある空間が存在するような気分になった。

このあなたであり私である境目をなぞりながら

今の自分の状況を考えてみる。
境目の隙間が希薄になればなるほど、見せられている現実は
リアルに自分の体験のように思えてくる。

必要なものしか目に入ってこないんだと思えるような感覚。

それは、昨日聞いた言葉が、目の前のPCの画面に乱舞していたり
過去において体験したものがこんな風に展開していくんじゃないかという
自分にとっては未来の経験をしている人に話を聞いたり。
昨日聞いたことは、自分のことじゃないと思っていたけど
そうじゃなかったんだという感覚になる。

 

隙間を埋めていくことが怖いのは、向かい合うものと自分が違うという錯覚からかもしれない。

白と黒は違うけど、接するということは必ずその間にある空間には

どちらをも共有する周波数がある。

 

あー 文字にすると本当に難しい。

 

違和感や恐怖は何かを手放す勇気を持つための感覚。

勇気を持ったらあとは集まる振動が集めてくれるものをただ 待てばいい。