タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

過去・現在・未来 ひとつに重なり合う「絵」を描き続ける。

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おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

数年前、セドナで撮った一枚。

あの頃は、オリンパスのPENが好きで、愛用していました。

イカメラの最初の一歩。

今見ても、この写真にはあの頃の私が生きているのを感じます。

一枚一枚に、物語を語れる。

そんな写真を撮り続けたい。

そう思わせるような私の想いがフルエル過去の1枚です。

 

 

 

カタカムナという古文献があります。

数年前までは、この言葉さえも世の中に出すのに

・命が狙われる
というようなことが言われ、

私も学び始めるときに身辺調査をされたことを覚えています。

「相似象」と言って

自然界の全ては相似た形を持っている。

夫婦で顔が似てくるのは、相似になろうとする自然界の自然律のようなものである。

簡単に上澄みだけをお伝えするとそんな感じです。

 

今は、

心の時代に入ったからでしょうか。

人類の精神性が高まったから??

今こそ必要だからか

ここ数年、この「カタカムナ」というものが普通に広がり始めました。

 

 

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最初に学んだ時に、教えてもらったことが

ずっとずっと私の中に存在しています。

 

・全てはひとつ型でできている

 

何もかもが「それ」に集約され発生していることを知るだけで

よくわからないまま ワクワクしたものでした。

しかし!!

難解すぎて、挫折を繰り返します。笑

 

3度目の正直。

3回目のカタカムナとの出会いで

ようやく、私なりの形で「そのもの」に向き合おうと決めた頃、

そんな言葉を全く使わないけれども

その真理を通して人生を説いている人たちに出会いました。

 

きっと、私は固執して、特化していくことが苦手なのです。

フランクな状態で伝え続けているその人たちを見ていて

言葉の使い方を知らなさすぎることに思い当たりました。

 

 

 

「抽象力」

様々なものを並べてみて、そこから抽出した「言葉」・「振動」で

全てを説明できるようになりたいと強い憧れに似た思いが生まれました。

 

私にとれば

その抽象力の表れが 「写真」や「カタカムナで残された図象」だったんだなと

改めて氣づいた今朝、時の概念が少しだけ動きました。

 

時間は、

過去から未来へと流れているものではなくて

未来から絶えず流れ続ける振動的なもので、本当は未来の中にあり、
この世界は、その影だとばかり思っていました。

だから、振動さえを作れば、影はくっきり現在に形作られると思っていました。

でも、それは少し違うくて

どんなに未来に振動が伝わり、影を作ろうとしても

それをウツス自分が存在していなければスクリーンに影は浮かび上がらない。

その上、おそらく、今と未来だけではなくて、
同時に「過去」という時の中にも

それを作り上げる「チカラ」は存在して

そのバラバラの絵が重なり合わさった時に初めて「影」である

「確かな現実」が生まれ始める。

 

人生は実験であり、現象化のタネを拾い集めている私には

とても大きなストーリーでした。

 

悩んだり、苦しんだり、悲しんだり、刹那だったり

そんな形に囚われた時には、そんなものが現象化してもらいたくない自分との

格闘が始まります。

戦い続けている間・マに存在するものは何だろう。

挫折の後に明らかになっていくものって何だろう。

氣がついたら、全て過去になっていて、あんなに嫌だと思っていたものが

チカラに変わっているのは何だろう。

 

全ての答えは

未来・現在・過去の重なり合わせでできている自分の中にあるんだなぁ。

 

 

自分の中の 「マ」「イマ」の器が出来上がれば

必然のタイミングで全ては起こってくる。

あのセドナの写真が目に入ることで

当時の自分と触れ合い、

さらには、未来からのオファー、ワクワク振動が誕生します。

 

過去・イマ・未来の写真が重なり合った時に生まれるモノ。

今の自分の器を「好き」だけで広げていくことで

どんなトキを重ねられていくのか。

 

最近、それを忘れていたようです。