タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

誰かの振動が私の中の何かを壊し始めた時、原点・元点に還る。

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おはようございます。

 

昨日の夕焼け。

この後、いきなり脳みその許容量がオーバーして、

昨日は久しぶりの頭痛に見舞われた。

シャワーにかかっても、呼吸を繰り返してもどうにもならなくて、で、早めに就寝。

 

他にやらないといけないことが山のようにあるから

考えたくないことを考えないようにしつつ、

そこにあるのがわかっているのに見えないようにしていたら

このところ、それに関することが一気に降りかかった。

 

まるで「ちゃんと直視しろ!!!」と言わんばかりに。

 

でも思考はそのことについて考えることを拒否る、

それ故、気持ちが悪くなるぐらいの「頭痛」

 

エゴの抵抗は計り知れない。

 

我ながら驚き。

 

アドラーは人間の悩みのほとんどは対人関係だと言う。

そう言う、アドラーセラピストに 

「私の悩みは時間がないことだ」と言ったら

それも対人関係だけどその話はまた長くなるから個人的にと言われた。

そのあとのフォローもなく、結果、時間がないことがずっと私の悩みだと思っていたのだが、悩みは違うところにあったのだなぁ。

まさに対人関係。

 

人にはそれぞれ振動があって、それはきっといわゆる「魂」のようなもの。

それぞれの振動が、心地がいいものかそうでないのか

心地が良ければ繋がり、そうでなければ離れる。

人間関係などそんな話で、シンプルなはずだと思っている。

目の前の人の振動を信じたり

目の前の人の魂を愛そうとしたり

目の前の人の魂を知ってる感覚を大事にしたいと思うことは

自分を大切にすることに直結する。

 

しかしながら、そんなフレーズが出てくる時って

決まって、その人のことを信じられなくなった時だ。

なぜなら、ヒトとしてその人との関係がうまくいっている時に

「魂を信じる。魂を愛する。魂を知ってる感覚を大切にしたい」なんて

思わないから。

何かその関係性で不都合なことが起きていたり

心底、受け入れてないからこそこう言う言葉が出てくるんだよねと。

だったらその関係性をそんな美しそうな言葉でまとめあげるのじゃなくて

どうしたらいいのかちゃんと考えてみろってことなんだと思った。

 

答えはシンプルだった。

 

何が起きても変わらない思いがそこにある。

何を見せられても変われない感情が存在している。

どんな衝撃波を受けても「かわらない」音があることを感じたいだけだと。

 

ずっと見て見ぬ振りをしてきたのは 「違うこと」じゃなくて

「違うことが違う」ということを知ることじゃないか。

 

誰かの振動が私の中の何かを壊し始めた時、原点に還る。

その何かは まとわりつくヒトの声。

自分の音じゃない。

自分の音が聞こえなくなる前の出来事。

やっぱり、全部自分だった。