タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

「振動」って全ての意味を肯定してくれます。 それには 真に「いい」も「悪い」もないのだと。

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カタカムナを学んだことで

「全ては振動である」ことを知りました。

令和に入って、

私の世界は「多種多様」に突き進んでいると

気づかされることが山のようにありました。

 

怒りや不満を直接、伝えることをせず

表面的には都合のいいように取り繕い

snsで発信して、自分の思いを吐き出す場面に出くわしたり

借金だらけで事務所の家賃を滞納していても

ホームページの中やsnsでは「大先生」を演じていたり

多くの人に影響を与えるような存在でいながら

影の部分が深くて感謝が足りず人のことを傷つけるようなことが多発していたり。

 

これは私に何を見せているのか!!

こんな部分が私にあるのかと落ち込んだりしていましたが 

ある方が、その場面を見ていてポツリと言われました。

「あの方にセラピーを受けたいと思う人がいるような多種多様な世界なんだなぁ」と。

 

すごく昔

20年近く前に、

「セラピー・セッションと人間性は違う」とよく言われました。

そうだったんだと思います。

でも、時代は進み

精神世界や癒しという世界が進化してからは

そこも同一になってきたような気がしています。

 

見る人が見ればわかる。

 

表面だけの取り繕いは

見る人によってはわかってしまうモノもあるのかもしれません。

だから、あの言葉になる。

「あの方にセラピーを受けたいと思う人がいるような多種多様な世界なんだなぁ」と。

 

振動やつながりは正直だから

自分の内側が細かな振動を発し、受れ取れるようになれば

何が自分にとっての真実なのかわかるようになるはずでものね。

 

私はといえば、このことを「今」受け取る「意味」があるのだと

強くその必要性を感じています。

 

その「正直な振動」

つまり、表面的なことではなく

その現象背後に存在するモノが自分の中でどんな風に渦巻いているのか

最近 立ち止まってよく考えるようになりました。

その時にはわからないことも山ほどだから

時折、取り出してきては俯瞰する。を繰り返しました。

 

今、感じるのは

「そんな風にならないように」と恐怖とすることではなく

「こんな世界もあるのだ」と、受け入れてみようかな。とか、

 

それが ダメだと決めつけることじゃなくて

それも 今は必要なことなのだろうなと俯瞰すること。

 

そして その先は

今は、まだ断定しなくてもいいのじゃないかと。

かつては

そんな風に生きたくない。

それだけは決してしない。って、かたく誓ったような気がします。

でも、それも多種多様な世界を否定して

こうでなければならないとしているような気がしてならなくなりました。

 

「振動」って全ての意味を肯定してくれます。

それには 真に「いい」も「悪い」もないのだと。