自分の何かが変わる場所。 振動が起きる場所。 今日も元気でいられます。
久高島
神の島
昔から「神の島」と呼ばれ、沖縄本島の方もなかなか足を踏み入れることのない島
だったと聞きました。
一躍有名になったこの島に初めて足を踏み入れたのは、2003年のことでした。
駐車場が小さな空き地だった頃の斎場御嶽。
知る人ぞ知るのその場所の一番奥に小さな広間があります。
その小さな空間の生い茂った木々の向こうに久高島は見えます。
小さな空間から見た久高島。
キラキラと光を放ち、眩しかった。
小さな空間から、久高を祈りそして、船に乗って久高島に渡るのが習わしでした。
そうやって渡った久高島。
不思議なことに、帰りの船の中でなんとも言えない気分になり
止まらない涙を経験したことがあります。
ほんの数時間の滞在だったにも関わらず。
不可思議な、なぜ、泣いているのかわからない。
バスタオルを手渡された程の滝のような涙でした。
イシキ浜で波と戯れたあの音と香りは
今も、昨日のように私の中に響いています。
令和になってPCのデスクトップの画像をこの写真に切り替えました。
開くたびに、空から見た久高島が心に振動を起こします。
わたしにとってなくてはならない雰囲気。
素朴で自然で、まっすぐな道。
そして、周囲に広がる潮の香りとコバルトブルーの海。
人によって魂が震える場所があります。
地球に上にある、その場所は人によって違いますが
確実にこの「しま」は私にとって 「自分である」という「琴線」に触れる場所だったんだろうと思うのです。
そこに帰ることは、自分の魂に還ること
そんな振動が広がります。
今 沖縄の啓子先生が 来名古屋中。
この久高に最初に連れて行ったくださったのはこの方です。
ここで、たくさんの
「自分の音」を拾い上げることができました。
今は、もうそんなに頻繁に訪れることのなくなった島でした。
去年の沖縄入りの時
思いがけず、天気に恵まれ
空の上からしっかりと島を確認できたことで、
再び、この雰囲気につながった気がしています。
行ってらっしゃいと送り出してくれる人がいます。
おかえりなさい と 迎えてくれる人がここにはいます。
なんとなくそんなことが嬉しくて、
時には心の支えになっていたりして
私にとって大切な島でしたが
「振動」「全ては振動である」ということに気づいてからは
全身がこの島に反応していたのだと気付きました。
自分の何かが変わる場所。
振動が起きる場所。
今日も元気でいられます。