タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

「この人たちの言葉の使い方はきっと一般的なものじゃない」 あるサイトを見て思ったこと。

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おはようございます。

秋でしたね。

ご訪問ありがとうございます。

 

今日も暖かな1日になりそうです。

 

 

昨日の夜

「この人たちの言葉の使い方はきっと一般的なものじゃない」

あるサイトを見て思ったこと。

 

例えば、どう言うことかと言うと、

「他力」と言う言葉は、

「他の人の力」と言うのが一般的。

「他力の応援を借りる」と言う表現をしていたら

そのまんま「他の人の力を借りる」に変換されるけれど

実は、

この他力という言葉そのものの意味が

今や、かなりちがった意味に成り果てているため

言葉の振動

つまり言葉の「たねのおと」まで遡ると

 

タリキ  離れて独立したエネルギー ってことになる。

 

つまり、他力というのは

他の「人」の力ではなくて

まさに、見えない世界の力ってことなのではないかと思いあたり、

そのサイトをくまなく俯瞰してみたら

なるほどなぁと思いました。

 

「同じ方向を向いた意識の高い仲間と共に」

こんな表現ですら

何か違うものを感じてしまうのは、

私の中に蓄積した、学びや経験の「振動」のせいからだろうと思うのだけど

知っていると知らないでは

捉え方が著しく変わることを体感した夕べでした。

 

そのサイトには描かれているのですよね。

渦巻きにトーラス。

まさに学び続けてきた「カタカムナ」の世界。

それでも、一言もそのことを表に出していない。

それはつまり、彼らにとっては

形ではなくて、当たり前のように存在する空気や水のような

欠かせないものなのだろうと思うのです。

 

「こうでありたい」と強く強く思いました。

 

 

最先端の時代の流れは

「見えない世界の情報の中にある」

 

これにしたって

三次元のこの世界は見えない世界の影であるからその通りで。

 

つまり

この世はあの世から見たら「過去」の世界なわけです。

「今」にフォーカスしようと思えば

今よりほんの少し前の、

まだ、今になっていない時間軸にフォーカスしないと

「今」を感じ取ることができないように

最先端は「今ここ」ではなく

見えない世界の情報の中に存在している。

この言葉は「スピリチュアル的」なことではなく

物理的にもそうだと言えます。

 

そんな言葉の振動が、きっとこの先

当たり前の時代になっていくような「変化」の中にある今

変化というのは

切り離した成長ではなくて

変化する前と

変化した後が両方混在する

つまり、過去と今と未来を溶け込ませた世界なのかもしれない。

 

そのサイトが教えてくれたのは

「生み出す」ために頑張らなくても

「今の自分」に溶け込ませる「何か」

「今の自分」に親和する何かをワクワクしながら体験していればいい。

新しい何かになるのではなくて

自分に溶け込んでいくもので溢れさせればいいのかなってことでした。