想像とは、心が「時間」を感じる時に生まれ出るもの。
昨日はどこに居ても桜が満開でした。
心機一転で、遠出してきました。
我が家の前の桜はもうすっかり新緑になってきたのに
昨日 訪れた場所は、心機一転を迎えてくれるかのように
青空と桜のコントラストが見事で、心が弾みました。
枝垂れ桜も大好きです。
「好き」が似ている友人と、早朝から西へ。
語って聞かせると涙ポロポロ。
話 聴いてるだけで泣けてくると、共有 共感できるトキに感謝せずには
いられませんでした。
底抜けに明るい人たち
一緒に過ごした時間のほぼ半分は笑顔です。
「今」は「自分の思いの中」あって
現実は、この「今の思い」が形作られている現象。
そんなことを、昨日は度々感じました。
というのも、
昨日の1日の流れはとてもスムーズで美しかったこと。
笑いっぱなしの、弾けるモノたちが作り上げたであろう、この体験から、
心の中の表れが、今、私の存在しているこの外の世界なのだと確信しました。
渋滞など一つもなく、目的地に到着しました。
そこは、とても人気がある場所で、すごい人だろうから早めに行ったのですが
全くの人払い。
大いに盛り上がり、大いに楽しみました。
ともすれば、深刻になりがちな場面が、楽しむことでさらに晴れ晴れとした気持ちに。
その上、桜は綺麗で、空は快晴です。
目的終了後も、やり残した感のあることをスイスイとやり終え、
帰りも渋滞であろう1号線がスキスキで、
2時間半は覚悟していたものの
渋滞知らずで、あっと言う間に帰ってきました。
朝、家を出る前に見つけた、マイノートを作ってくれるお店に立ち寄り
そこで販売されているノートに
自分のイニシャルと名前を入れてもらったのですが、
みんなのノートを仕上げるには、小一時間がかかりますと言われました。
普段なら
「じゃあ 送ってもらいます。」 と なるところ
ここで、待ってもいいなぁ、ぐらいに心が満たされていて
待たせていただけるなら、1時間ここで待ちますと伝え、
のんびり、ゆったり、時をあじわいつくすプレシャスな時間を過ごしました。
帰ってきてから、思います。
「あれはなんだろう」と。
普段の生活なら、
例えば、できるだけ並びたくない。
さらに合理的に、スピーディにと最短コースを選んでいる私。
自分の体験する「時間」の本質って、いつも、同じじゃないんだと改めて感じました。
そんなことにフォーカスしだしたら
今朝、こんなトピックが。
時間とは、一度しか咲かない美しい花
ミヒャエル・エンデ『モモ』より「時計というのはね、人間ひとりひとりの胸のなかにあるものを、
きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。
光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、
人間には時間を感じとるために心というものがある。
そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、
その時間はないもおなじだ。」
心は時間を感じ取るためにもある。
「今」の心が「感じる」ことで、時間を捉え、そして現実になる。
想像とは、心がその時間を感じる時に生まれ出るもの。
そんなことを受け取りました。
トキ トコロ
トキ と ココロ
つながる振動数です。