奈良 五條。井上内親王の旅 「思い」はその場に残ります。 振動として。歴女の血が騒ぎます。
我が家の前の桜です。
満開まで、後、ひと息。
毎年、この辺りで、年に一度
生まれてきたことへの感謝を込めて
訪れる場所があります。
「葛城 高鴨神社」
いつ出かけても、静けさが空間を占めている美しい場所。
昨年、建て替えられた社殿が光っています。
静けさの中に漂って、元気をいただいてきます。
その後、五條で食事。
南朝・後醍醐天皇をかくまったと言われる「王隠堂」というレストラン。
その場所で栽培されたお野菜をふんだんに、
丁寧に、手作りされています。
昨年は、山菜づくしでしたが、今年はこの寒さで、
内容が違っていました。
それでも、珍しいものばかり。
つくし に のびる 当帰に、こんにゃくの天ぷら。
美味しかったです。
お腹もご機嫌になった後、
五條と言えば、私の中にいつも、ふつふつと存在し続けている
「井上内親王」
数年前、とある方が書かれた「井上内親王」の書籍を
読み終えた途端に具合が悪くなり
40度の高熱を3日間出したことがありまして、
ずっと、心に引っかかっているものがありました。
いつも、後回しになっていて、また 今度。となっていたところを
昨日は、思い切って、残りの半日のエネルギーを傾けてみようかと精力的に
動きました。
井上内親王 いのうえないしんのう
717-775 奈良時代,光仁(こうにん)天皇の皇后。
養老元年生まれ。聖武(しょうむ)天皇の皇女。母は県犬養広刀自(あがたのいぬかいの-ひろとじ)。白壁王の妃となり,宝亀(ほうき)元年王の即位により立后。3年天皇をのろった罪で廃后,子の他戸(おさべ)親王も廃太子となる。4年難波内親王をのろい殺したとされ,他戸親王とともに幽閉され,6年4月27日母子同時に死去。59歳。藤原百川(ももかわ)らに毒殺されたとみられる。没後25年に復位,吉野皇太后とよばれた。名は「いのえ」「いかみ」ともよむ。
難しいことが書かれていますが、
つまり、奈良の大仏を作った聖武天皇の娘で、白壁王に嫁ぎ、他戸親王を生みますが、
光仁天皇(白壁王)に呪詛をしたという罪で、この五條に幽閉。
2年後、その息子とともに毒殺。
この後、朝廷に大変なことが色々と起こり、
井上内親王の怨念だと、立派な御陵を作り、
五條には23箇所も 「御霊神社」を作り祀り上げています。
彼女のいた場所とされるところに行くと
大抵、おもーいドヨーンとした感じの場所が多い中、
この御霊神社は、気持ちのいい空気感が濃厚でした。
「思い」はその場に残ります。
振動として。
717年生まれの井上内親王
すでに1302年も過ぎています。
魂は、分光して、すでに違うモノになってしまっていても、
その時のその振動は その場の空気感に漂っています。
痛い、苦しい、悲しい、辛い。
彼女の振動はさぞかし、と思いきや、
この場には 清々しい振動しかないようでした。
ここで
「今の自分にできることを、必ず」と、
宣言してきました。
歴女の血が騒ぎます。