タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

好き 嫌い ではない 感受性の高まりが伝えてくれているもの。 それだけを受け取っていきたいものです。

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結果 感受性の問題だと思うんだよなぁ。

 

 

 

頑なな人は自分が「頑な」であることに気づいていない。

だって… 

気づいていたら、頑なさを手放さないかなぁ。

と言うか

手放そうとすることで十分 頑なさは無くなってるような気がする。

 

私、頑ななんですっ!!!って 言ってる人

本当に 頑なだわって 笑

 

年末 揉めている方々を見る経験があって、

「戦い」を挑んでいる場面に出くわしたわけです。

もちろん、私自身もその中にいたわけですが。

 

色々な思いが自分の中で発生。

ふと、

生まれて初めて冷徹に対応した「その人の顔」が浮かんできて、

つまり、過去の振動を感じて

そこにはいたくないなぁと心から思いました。

 

でもね

その「戦い」はいつまでも終わらなくて

まーた 言ってる。って続いてる。

 

もう いいってって。

 

戦争反対とスローガンを掲げている人の中にこそ

「戦い」はあって、

平和じゃない。

私は 「平和」という言葉さえ存在しない世界を見たいのになぁと。

 

 

頑なさは 周りを振動させないぐらいの勢いで

凝りかためますね。

実際、その現場にいて凍りつくような時間を体験しました。

そして、周りも頑なになっていってしまいます。

 

頑な循環 笑 ですね。

 

それでも 見識ある大人の人たち(!)は 

頑張って、いろんな角度からほぐしにいかれていたと思います。

それでも伝わらない時。
その後、どうすればいいのか、どうするのか。

これが、「自分」というものの個性が出る時なのだと思います。

 

そんな時

私はその個性が下したその判断では無くて

その判断をする「その個性」の魂を信じようと思うのです。

 

「魂」に憧れる方々が数名います。

その方々は、おそらく今後どんな方向性を選んでも

それが、考え抜いた結論なら支持したいなと思います。

肉厚のその人では無くて根源のその人の魂。

文句なしにその魂に憧れてしまうわけです。

 

そして 前述の頑ななまでの戦いは

結局

「感受性」の問題で、

「感受性」が違うのなら共に手を携えることはできないのだとも

気づきました。

 

私が頑なを感じる時

きっと 相手も自分に頑なを感じるわけで、

だって 頑固だって判断している私を頑固だと判断しているようなもので。

ぐるぐる メビウスの輪状態です。

 

そこには、

「感受性」の差がありありとあって

もう 共にはやっていけませんよってことなのですよね。

つまり

「受け入れていく」ことが必要な時と

不必要な時がある。

 

異質な感受性は私に新しい豊かな振動を与えつつも

私自身の「個性」も際立たせてくれます。

反面教師のように、そうはなりたくないとか

それって違うんじゃないのぉって言うたびに

自分の中にある「自分」を確認できます。

そして、個性がより際立ち、感受性同士が戦いを始めた時、受け入れは必要ない。

さっさと手放して新たな次元の始まりを確認する。

 

好き 嫌い ではない 感受性の高まりが伝えてくれているもの。

それだけを受け取っていきたいものです。