タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

宇宙は優しすぎる。自分を愛するものたちに真実を見せてくれます。

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こんにちは

 

ご訪問ありがとうございます。

いよいよ 12/10 

2019年も残すところあと21日

3週間ですね。

 

数年前にセドナで撮った青空の写真。

太陽の光がしずくのように散りばめられているのが見てとれます。

自分で撮ったこの写真が大好きで

何かがあるとこの写真を見ては「あの時」を感じてきました。

つまり何を感じてきたのかといえば、「あの時の振動」だったってことを

今、思います。

 

 

カタカムナを学んできて、こんな言葉に出会い、こんなことに主軸置いた生活をしてきました。

 

「自分の生まれながらの固有振動に対し、新たな振動を起励して自己変革を促す」

 

つまり、新しいものと関わり

新しいものの振動を受け取り

それによって、新しいものを生んでいくと言う生き方。

それでも、なかなか、思うように行かないことが多くて半ば諦めたり、悲しくなったり

様々な体験をしてきました。

 

マワリテ メグル  ものたち

自転と公転の循環で全てのものは存在を保っているという考え方は

人の人生に置き換えたら

当面の処置と、長期の見通しとの噛み合わせによって醸成していくのだよ

と言うことでした。

長期の見通しとは、つまり

この自分の思いを信じ抜くこと。

自分であることを生き抜いていくことしかないと確信した日から

外側へではなく

うちへ、うちへ、さらなる内側にベクトルを向け内観を続けてきた結果、

「自分であるために持ち続けている思い」

つまり、

「この思いこそが自分である」と言う「自分の存在理由」であるような「思い」に行き当たった時、

初めて、「この思いに出会うために生まれてきた」と思えたものです。

 

私はこれ以上でも、これ以下でもない。

 

そのために全てはスムーズに起き、

全てはスムーズに昇華していったのかと。

 

そんな頃から

「アコさんならこう言うと思っていた」
「アコさんなら、こうするだろうと思っていた」と言う言葉をよく聞くようになりました。

それは、つまり、内側に思いを向けることによって広がった「私の本質」だったはずで、そうして、さらに「この思い」を大切に大切に育み始めたら

なんだか 最近 本当に現実が変化したわけです。

 

頑なに拒まれ続けていると思ってきたものが 

すでに「 ふんわり 」手の中にあったことに氣づいてしまった時

真っ先に思ったのは

カタカムナ的な生き方のおかげではないかと言うことでした。

 

愛されたいのならば、まずは自分を愛する。

今の自分が絶対に選択しない道を選んでみる。

無い物ねだりする前に、淡々と自分にエネルギーを注いでみる。

精神体のところで止まる推論はしない。

感情に動かされる前に、何も考えずに行動する。

 

夢は叶う

思いは伝わる

現実化の振動は

ひたすら、自分にエネルギーを注ぐことだけなのかもしれない。

今は心からそう思います。

 

外に神を見ていた頃、叶わなかった思いは

内側の自分を心から信じてやることで、真の実態である真実に近づく。

 

宇宙は優しすぎるぐらい、自分を愛するものたちに真実を見せてくれます。