タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

とかく 三次元は実験の場 全てはプロセスで 失敗の成功のもと なのです。

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今日も空が綺麗です。

少しずつ少しずつ 春を感じるようになってきました。

目の前に並ぶ 桜並木の桜が膨らんできました。

夏から秋への切り替えは、

そんなにはっきりしたものではなく

気がつけば 長袖 になっていましたが

冬から春への切り替えは

どうしてこうも、心待ちにしている感じなのでしょうかね。

何かが生まれ出る音

何かが始まる感じがするからでしょうか?

 

今朝、読んでいた本に

非常に心に響くことが書かれていました。

 

何かのためにするもの

それは、どうしても人間の誤解や偏見の介入を免れない。

なので

純粋な「好奇心」によってのみ動くことが

鋭い直感力を高めることになる というような内容。

 

しかも

「直感」と「直観」は違うのですって。

なるほど 感じが違います。

 

直感 というのは 動物的なカン

直観 というのはそこに人間の判断が加わること 

直観を研ぎ澄ませるのはこちらの 直観ですね。

 

その直観も自分の感受性の許容量に比例しているはず。

体験が感受性を養うってあれです。

 

 

 

創作活動していた方が

色々と思うところがあって

3年 創作活動ができなかった。

 

その間にさらに深い体験を積み重ねることで

いかに創作活動が自分を生かすものであったのか

さらに

いかに自分にとって大事なものであったのか

身にしみて理解したのだとか。

 

次に生まれ出る作品はきっと今までのものとは違うだろうということは

このお話を聞いただけで、見えてくるようです。

 

体験が

新しい自分に出会わせてくれます。
創作活動を再開して
生み出したものは
さらに大切なものだと感じることでしょう。

 


体験が波動量を増やすことは
ひび 経験して分かってきました。

とらわれや
自分の限界がないことを見たように思います。

 

適当に生きていたつもりはなかったけど

全てに適当だったなと思います。

 

そこにあったのは「好奇心」ではなく

「やらなければならないこと」で終わっていた思いでした。

 

「やらなければならないこと」は

どうすれば、目の前のものを「好奇心」に変換するのか

その変換チャンネルを磨くことでした。

 

100マス計算を楽しくする方法は

これを手抜きなくやりおおせた後に

どんな現実が起こってくるのか

もしかしたら 何も起こらないかもしれないけど

もしかしたら 欲しかった「もの」が手に入るかもしれない。

とにかく やってみよう。
何が待ち受けているのか見てみたい。

私はそんなことで 

全てに好奇心を感じて生きてきたように思います。

とかく 三次元は実験の場
全てはプロセスで 失敗の成功のもと なのです。

 

やりたいことをやろうとするから

探さねばならなくなり

なくて困っている方々を多く見てきました。

 

いーや
目の前のことを、どんな風に捉えたら
好奇心で見ることができるようになるのだろうか。