タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

日々、体験・波動量を増やしていくことは、日々、「愛」が増えるということ

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日々、波動量を増やすことで感受性は高まると昨日書きました。

 

今朝、ドイツに行った時の写真を振り返り振り返りしながら

はるか昔のことのように思うけど

実はあれからまだ半年も経っていなくて

そして

あれまでの自分と

あれからの自分を比べてみたら

まるで別人のように感じる「今」があることを受け取っていました。

 

あの「ドイツ」で見たもの、聞いたもの、感じたものの波動があまりにも大きくて

それまで、ずっといた場所から、否が応でも
場所がえを余儀なくされたよう。

 

9/17

ヒルデガルトの命日の日の早朝のミサで

「ここから始める」ってしっかり、心で感じた振動があったこと

忘れていました。

そういえば、そうだったな。

 

 

悲しいも、苦しいも、切ないも、辛いも、

もっといえば

嬉しいも、楽しいも、

今ここで感じているものは かつての振動。

パソコンのキーを叩きながら、

嬉しいと思えば、過去、嬉しかった情景が蘇るし

辛いと思えば、過去、辛かったことが蘇る。

 

そこから離れてフラットな

今の自分の振動ってなんだろうなぁって自分を内観すると

ただただ「静か」なだけでした。

 

それでも その「静けさ」をコトバ化するには

本当に幼稚な感覚しか持ち合わせていないから

ただ「静けさ」としか言いようがないだけで

本当は、もっと複雑な多次元の振動があるのだと思うのですよね。

 

そして、それもきっと

過去に体験したことが積み重なっているような気がします。

 

つまり、体験って大きな波動です。

波打って蠢いている。

 

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ドイツで受けた大きな経験は

無意識の中で今に繋がっていることに気づきます。

そして

その波動量で感受性が広がったことは確かです。

 

それまでのブログにも書いていたかもしれませんが

「一番欲しいものは手に入らない」と小さな頃から確信していたことがあって

それは、おそらく

小さな幼少時代に母と離れて叔母の家に預けられていたことから発した思い。

話すこともままならないその頃の記憶が実は私にあって

叔母の家の長い廊下と板張りの冷たい感覚。

勝手口ではなくて大きな玄関が開いたそこに母がいたその感覚と

絆創膏を貼ってもらった右手の親指の付け根を母に見せて

「怪我をしたんだ」と言葉にならない言葉で
必死に訴えている自分の精一杯の気持ち。

 

「伝えたくても伝えたい人はいつもそばにいなかった」

そんな体験が

「一番欲しいものは手に入らない」という確信に繋がっていること。

実はドイツから帰国して気がついてしまった。

 

でもね、

そうだったなぁって。
ただそれだけでした。

で、忘れてしまっていた。今朝まで。

 

「一番欲しいものは手に入らない」

そんなことを頑なに握りしめていたことすら

忘れてしまっていました。

 

写真とともに思い出して

そして、

違う未来の振動を歩き始めたことに気づきました。

 

体験が波動量を増やしていく中で

個別の形あるものではなくて

つまり…悲しみ!!とか寂しさ!!とかそういう個別のものではなくて

全部ごちゃまぜにした、「ごった煮のような感情そのもの」を
人は「愛」と呼ぶのかもしれません。

ということは
体験・波動量を増やしていくことは「愛」が増えるということにつながりますね。

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