タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

コトバが足りないのは…体験が足りないこと。

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春を思わせる暖かい1日でした。

ストーブ要らないっ!!!ってなるぐらい。

自然は気がつかない間に進んでいきます。

 

また 春が来る。

嬉しくなります。

 

写真は9月に行ったドイツで撮ったもの。

ミュンヘンにあるニンフェンブルク宮殿

バイエルンの王様が、フランスのベルサイユ宮殿に似せて作った邸宅の森。

 

昨日 ついつい 思い出していて

今もあそこはこんな風に光に満ちているんだろうと。

 

旅に出て、

どこにいったのか書いておかなくても

帰宅してインターネットで検索すると出てくる。

なんて 便利な世の中になったのでしょう。

 

インターネットの風景を見ているだけで癒されるのは

そこに行った経験があるから。

光、香り、空気感
その振動が自分の中に残っているから、
風景写真を見ているだけで
その場にいるかのように感じることができる。

体験は波動量です。

思えば、

昨年ほど、新たな振動を内に放り込んだ一年はなかった。
生まれたての赤ちゃんが、日々刺激的な体験をしているのと

よく似ていたかも。

 

そして その経験を認識に持っていくことで

脳は進化するらしいのです。

 

認識とは

 

1 ある物事を知り、その本質・意義などを理解すること。

 また、そういう心の働き。

 

2 《cognition》哲学で、意欲・情緒とともに意識の基本的なはたらきの

 ひとつで、事物・事柄の何であるかを知ること。また、知られた内容。

 

おきたこと、見たもの、それがなんであるのか

なんであったのかをきちんと認識に上げていくこと。

 

つまり、昨年の旅の体験はなんであったのか、それを知ること。
いや、まさに新しい体験は知らない自分を目覚めさせることであると

知ったのですが、

そうやって、認識に持っていくと脳が進化する。

 

根源的には知っているはずの

今更、いうまでもないことであっても

「はっきりした認識に乗せていく」こと。

それが、眠った脳を目覚めさせる一つのプロセスになるとか。

 

「コトバ」をどう扱うかにもつながります。

 

思いに忠実に「コトバを」見つけるのではなくて

体験を増やすことで 

コトバの認識が増えていく。

 

コトバが足りないのは…体験が足りないこと。

 

リトルフリープレス 「たねのおと」を書いていた頃
思いにコトバが追いついていかないことを結構記事にしていました。

「何か違う」と探し続けていたことを思い出します。

 

また それも体験なのですが、

今から思えば、圧倒的に体験が少なすぎたことを感じます。

 

体験=波動量

日々、波動量を増やすため、たくさんの人に出会い 

たくさんのモノに出会っていく。

 

「種の音」次号は4/5発刊予定。
今、少しずつ、記事を創り始めています。
体験が増えた分、新しい振動をお送りできますように。