タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

突き詰めていくと、握りしめていたのは劣等感。力を抜いて新たな力を発生させます。

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雨でしたね。

朝は暖かな始まりでしたが、あれよあれよと寒さが増しましてきて。

今日は雨水。

雪が雨に変化するという季節の区切り。

そして、明日は満月ですね。

 

 

この次の満月は春分の日だとか。

春分と満月が重なることってあまりないらしいですね。

楽しみ〜

 

 

全てが振動であると 捉えた瞬間から

いろんな意味で、ものの見え方が変化してきました。

ロウソクの炎のゆらぎでさえ振動なのだと。

この光を見て、心がどう反応するのか、

たとえ何も感じなくても

何かが反応して

その影響がまた何か別のところに派生していくことを知りました。

 

 

 

ピアニストがピアノの練習を通して、

「これを弾きたい」という思いが 

自分の体により以上の負荷をかけることを選択した結果

腱鞘炎になってしまった。

でも、そのことの背後には頑張ったこと以外に何か意味があったりして、

突き詰めていくと驚くほど関係ないと思っていたことにつながっていたりします。

 

 

少し病気になられたお父さんを見て

「年をとったら出来なくなることがある。
 だから、今のうちにやろうと思っていたことをやってしまおう」と

思われたらしく、

かつて挫折した楽譜を引っ張り出してきて弾き始めた。

でも、思うようにいかなくて

そのうち、小指の付け根が痛み出し
今度は痛みと格闘するようになったとか。

 

根底にあるのは

「年をとったらもっと弾けなくなるから、今のうちに」というパターン。

気持ちはわかります。

とっても。

 

けれど 突き詰めていくと、本当はそこじゃなくて

自分はピアニストとしてやらきゃいけない王道を歩いていないと思い込んでいて

故に、自分で自分はダメだという劣等感を抱いていることに気づきました。

 

たくさんの方の歌の伴奏を立派にされていたりするのに。

弾けない私から見たら、すごいのに!!!

 

その劣等感からいつもいつも「力が入り」

結果、痛みを伴って技術を磨くことになる。

痛みで教えてくれるわけです。

 

で、入っていた

力を抜くと、現象背後にある世界では、逆のことが起こります。

力を抜いた自分を支えるために、新たな余裕の力が生まれる。

 

力を抜くことは、自分を保つことになるのですね。

 

極限に向かうと、崩壊が始まります。

この 崩壊も崩壊させればいいんですよね。

そうしたら、それはまた新たに生まれ出るタネになります。

 

どちらにしても

全てはぐるりと回って巡っているわけです。

どちらに向かってもつながり続けているせいか

プロセスなだけで

ベルトルの方向は変わらない。

 

だとしたら

怖がるものなど何もない。

やりたいように、ただ淡々とやり抜くだけです。

力を抜いて。

 

最近、心地いい時間が多くなりました。

時間がゆっくり流れていると感じるのはそのせいだと。

やわらぎの中にいる。

それは、大きな振動に包まれている証拠だと思っています。