混沌とした「モノ」たちは優しさであり希望であること
おはようございます。
ご訪問ありがとうございます。
昨日の真っ青な抜けるような空。
この色好きなんだなぁ。
緊迫し続けていた先週の勢いを、少し和らげてくれた空でした。
18日は京都でセミナー。
京都に入ったら、まず、京都御所にご挨拶してから会場入りしてね という
啓子先生の言葉で
まずは、京都御所へ。
生まれて初めて入りました。
広く抜け感のある空。
とにかく広大な敷地の中は、空気の一粒一粒が見えるように澄み切っていて
人はいるのに晴れやかでスッキリしていることに驚かされます。
敷地から一足でると京都の街の喧騒に取り巻かれるのに
この中は不思議なぐらい「静けさ」の漂う場所で
「異空間」というにふさわしい場所でした。
確かなものが放つ振動は
細かすぎるほどの繊細さでもって
徹底して完璧なのだと感じさせてもらえる場所でした。
お殿様仕様のランチを御所でいただいて
カタカムナ学校の同期、数名の前での講座はやりにくいったらない。笑
ここ数日、テキストに向かいまくって、
脳みそフリーズ状態になる程、見つめ続けた時間の果ての当日。
今まで、いろんな場所でお話をさせていただいてきましたけど
直前まで、いろんなものを見返していたりしてたのは
「向き合い方が足りなかった」ことの何でもないと思い知りました。
あるひとりの熱い想いがあって
このセミナーが現象化し、それがなければ出会うはずのない方々との出会いが
現れ出たことに対しての思い。
久しぶりに会う仲間たちのはじけるような笑顔。
様々な振動が渦巻いて、全てのことに感謝できる自分に出会いました。
そして、次の日の青空。
緊迫していたものが緩やかに解けた瞬間でした。
昨日も1日、一宮の講座で立ちっぱなしのしゃべりっぱなし。
悶々と学会誌とにらめっこの1週間分のエネルギーを放出しているかのような
二日間でしたが得たものは大きかった。
混沌とした思いから、逃れよう逃れようとしてきた今まででした。
なんとか、混沌な感じからスッキリさへの進化を図り
もっともっと 大切なものを大切にできる生き方をしていきたいと思い続けていたことに氣づきました。そして、それは自分勝手な「エゴ」でしかなかったことにも。
たったひとつの「想い」が放つエネルギーは強さを増して
「想い」が「重い」に変化し自分の動きを止めていたこと。
そして、「混沌」は「想い、重い」ではなく
その中からしか、新しい自分は生まれ上がらないこと。
故に混沌とした「モノ」たちは優しさであり希望であること。
そんなことを講座でお話しすることから受け取ることができました。
逃げることじゃなく
逃れることでもなく
そのわけがわからないことを わけがわからないと 知りながら
わけがわからない混沌とした想いを俯瞰しながら見つめ続けることで
見たことのない世界を体験できる。
今の自分を超えて行けると信じます。
空はいつも自分の傍らにあって
今の次元を変えてくれます。
ソ
ラ
場を逸らす。