タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

決めないことを決めること。

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毎日 寒いですね。

朝はとびきり。

大人になったらこの寒さ、ものともせずにいられると

幼い頃 思っていました。

母がストーブもつけずに起きて支度をしていたから。

幻想でした 笑

 

 

 

一昨年あたり、

「決める」というキーワードが周りでよく言われていました。

「決めればいいんだよ。」

「決めないとね。」

「決めてないからね。」

 

「やるって私は決めたから。」

 

とにかく熱く語ることの多かった年回り。

 

あれはなんだったんだろう。と年始に思います。

ただ 熱かっただけだ。って、今になって気づきます。

あんなに「これだ」って思ったことが

こんなにあっさりと辞められるなんて、と驚きを隠せません。笑

 

そして、そんな風に語っていたものたちは

決めきれずに、姿も形もなくなりました。

そんなものです。

 

決めなきゃいけないのは「決めるない」ってことなんだなと

最近つくづく思います。

 

いろんなことを決めなくても、結果、残っていくものや

辞めたいとか

逃げたいとか

もう無理って思っても

変えられない自分の思いや

辞められないことこそ

自分にとって大切なものだったり 

人だったりするんだろうなって思うわけです。

 

今、ここには

熱く語ってわかりあうことがなくても存在する「何か」があります。

そして

その背後には、わかってもらわなくても

わかってる「何か」があります。

 

熱く語り合って「分かり合えてる」と思った「それ」は

傲慢さだったり、支配力だったり、自己満足だったり

そんな範疇でのことだったんだと。

 

分かり合えてる感はどこまで行っても

自分の世界観の中だけのことで

100人いたらその世界は100通りあるわけだから

完全一致するはずもありません。

それでも、人はそれを求めたがる。

そんなカテゴラズされそうな場所から脱した時

一人になった気がしたけど

世界は大きく広がりました。

 

 

決めないってことは

全てを受け入れるってことでした。

 

決めてしまうってことは

それ以外のものの可能性を打ち消すことになってしまうのかしらん??

時には、必要な枠なのかもしれないけど

つまり、それは「枠」なのだと感じられる自分になれたということなのでしょうね。

 

自分の立ち位置、目線、気持ちのあり方で

捉え方は随分と変化していきます。

 

何かすることを決めなくても

選択しなくても、

必要なことは全てこの手の中に。

私は、もう全部持っています。

 

大切なのは

今 自分はどんな振動を受けていて

その中でどんな風に共鳴しているのか感じようってことだ。

決めないってことは

つながるどんな振動も受け取れるってことです。

 

気楽だなぁと。

 

そんなことを言ってる場合じゃ無いほど時間には追われていますけど…ね。