プロセスの果てにある「こだわり」と潔く手放す「揺れる想い」
前日から超ワクワクでした。
そして 梅仕事です。
今年もこの季節がきました。
毎年 梅シロップをつけるようになったのは
子供が幼稚園の頃。
ママ友が 梅を砂糖につけフルフルしていたのが
おもしろそうで。
氷砂糖につけた梅が発酵して
アワアワになって
1日一回 その瓶をフルフルするわけです。
振ってもアワアワが出なくなったら出来上がり。
幼稚園児は毎日その梅ジュースと梅をかじっていました。
大きくなって
「要らない」といい出してからは
もっぱら 私専用。
毎年、この季節は
梅を洗って ヘタを取って爪楊枝でプチプチ穴を空けて
瓶詰めです。
美味しそうな梅。
完全無農薬や砂糖もこだわってっていう時代もありました。
でも、今はそうじゃなくてもいいかなって思っています。
口から入るものが体を作っているからって
敏感になっていましたけど
昨年 ある料理研究家の方に出会って
酵素を作るお砂糖は白砂糖の方がいいのよ。と。
ありゃ そうなんだ。
精製されていないお砂糖にも弱いところがあるみたいで。
そりゃあそうです。
お薬も副作用ばかりがクローズアップされるけど
主作用の部分が
副作用でかき消されているのと同じですかね。
とにかく
それはちゃんと自分で調べる或いは体験するということに尽きるのでしょうかね。
その時に作った白砂糖使用の薬草の酵素は
その後、肌を綺麗にし
少しだけダイエットに効果を表したから
それからはあまり食に厳しい制限 こだわりを見出すことを
やめてみました。
子供達はこの日を待っていたようで 笑
ご飯にいろんなものを入れたり
例えば きびや麦や五穀や
やめて欲しかったみたいです 笑
美味しいと感じることが一番なのですよね。
「こだわり」って大事だけど
揺らいでいくものは潔く手放す。
これ 人間関係も然りですね。
そんな中で
それでも変わらないものだけが
「こだわり」
に
「大切な関係」
に
なっていくのだな。
いつも途中経過のプロセスにあるということに気づいたら
「ああ言っていた」
「こうだった」
はナンセンスなのだと気づきますね。
梅仕事
美味しいシロップになるように
ふるふる 楽しみます。
6/17は
こんなイベント
があります。