タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

「今」というのは 不連続なものの連続

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こんにちは

ご訪問ありがとうございます。

 

グラウンドカバー用に数年前に植えたワイルドストロベリー

ようやく 絨毯のように広がってくれて、今年は雑草の繁殖が抑えられているというか、

雑草のようにワイルドストロベリーが育っているというか、

助かっています。

 

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こんな風に広がるとは、想像もつきませんでした。

なんとなく 植えた20株ほどの苗が

今や所狭しと柿の木の下で大きな葉を我が物顔で増やし続けてくれています。

 

最近、昼間、電気機器に触れ続けていたり

または、人にあって、マイナスの思いを受け取ったりした時

夕方から畑に出て、ひたすら草抜きをすると

不思議に爽快になって、気がついたら19時を過ぎていたということがなんども。

地球ってアースと言いますが、

土は自分から漏電している電気を地球にながしてくれるアース線ですね。

そのおかげで副産物が山のように。

今年は

スギナも、どくだみも、よもぎも、お茶にできそうです。

 

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いそがし続けた時間を通り過ぎて

少しだけ 和らいだ世界の中に今いるのに、

いそがし続けたからか

気持ちだけが、焦り続けている こんな日常です。

 

そんな時に

「今」というのは 不連続なものの連続なんだよと 教えてもらいました。

 

今 今 今に生きると言いますが

その今は 固定してしまっている「過去」とつながっていて

その過去に強く影響を与えられている「今」を生きていることなんだよ。

トキがつながっているのは 本当のスガタではなくて、

その実、トキというのは、現地点にしか表れ出ていないのだ。

「過去の一点」と「今」という現地点を繋いでいるものかあるとしたら、

それは、「記憶」というもの。

過去を固定してしまっているのは「記憶」という脳のメカニズムで、

その記憶というものが、「今」に影響を与え感情を生み、

その感情によって「今」は感傷的にもなり、苦難にもなり、

喜びにも満ち溢れ、悲しみに淘汰される。

それには、連続性はなく、瞬間瞬間、新陳代謝を起こし

今が起きてきていると考えると、

そう考えると

「自分に干渉が湧かなくなる」と。

その方は言いました。

 

3歳や5歳や10歳の自分と今の自分は本当に同じ人物なのか。

もしかしたら、全く違う人物なのかもしれない。

 

とこの辺りで

私の頭がフリーズ。

不思議世界に入るのをためらう何かが存在します。笑

 

今の感情と記憶の中の感情がどんな風に結びついて

どんな風に作用しているのか。

複雑な世界が存在するような気がします。

 

 

今、理解できるのは

 

「いそがしすぎた時間」という私の記憶の中に、

焦りや恐れや苛立ちという感情の記憶が積み込まれていて

その固定化された過去の塊が

今の私に作用して、和らげないということ。

そして

今 今 今 という 非連続性のものが連続している世界だと気づけば

そこから抜け出せるはずなのに

なかなか それができないということの2点。

 

まだまだ、頭では理解できても、感受能力が追いついていかない私です。

 

モノとモノ 世界と世界の境界面には 不思議があふれています。

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こんばんは

ご訪問ありがとうございます。

 

本当に久しぶりの投稿になりました。

こんなに時間が空いたのは、このブログを始めてから初めてのことではないかと。

 

でも、一瞬でした。

5/8から今日まで、ひたすら 走り続けていただけでした。

 

この虹の写真を撮ったのは

5/19

亡くなった旦那さんとの結婚記念日が 5/20だったので

心に沁みしまた。

 

あぁ、虹だなぁって。

 

混沌とした、選択のしようのない現状の中で

ひたすら目の前のことをやり続けるだけという

今までの人生であまり体験のしたことのない「コツコツ」感、

真っ只中に現れた

「ニジ」

なので、本当に心に沁みましたし、旦那からの贈り物だとさえ思えた自然現象。

 

青空と一緒に虹が出ることってあまりないので

自宅から外に出たり、入ったり、

雨でびしょびしょになりながらカメラを手に歩き回ったあの時は

なんだか、めちゃめちゃ

生きているんだなと感じたトキでした。

 

生きている私と死んだ旦那

見えている自分と見えない彼

 

現象はそんな風につながり合っています。

ある境界面を境に。

虹が出たトキ、
その境界面を感じたわけです。

何もないところに 七色の美しい風景が表れでる。

いつか消えるその時に

私は何を思うのだろうかと、ぼんやりと思っていました。

今は、見えているそれが

そのうち 消えていくその瞬間に何を思うのかと。

 

そんなことを思っていたら

知らない間に薄くなって、そして 気がついたら消えていました。

 

多分

それは、

この先の何ごともそうなのだろうと。

知らない間に、薄くなって

そして 気が付いた時には、消えているのだろう。

 

見えている間に

カメラが濡れないように必死になりながらも

なんだか めっちゃ生きている感覚を感じながら

あちらに駆け、こちらに走り、している。

つまり

生きている間に

バタバタ動き続け、生きている感覚を味わい尽くす。

 

気がつけば消えてしまうから

それまでは、

バタバタしながら

走り回れば、虹はそこにあり続けてくれるのでしょう。

 

 

 

 

年に2度の大きなヤマを超えて

今は、体も心も疲れ果てていてしまっていますが

数ヶ月ぶりに立ち寄った本屋で見つけた本に

「摩擦がなければ歩けない!」というフレーズを見て

妙に納得してしまいました。

ここまで、突っ走った結果

今までの自分にない頑張り方で

過去の自分にはない要素が表れ出てきていて

何か違和感というか、

変わることへの恐怖というか、おそらくそんなことが、「摩擦」となって

何か ストップをかけてくれているのだ。と思っていたら

逆でした。

それが、なければ進まない。笑

 

面白いなぁと思います。

 

摩擦があるから、地面を蹴って歩くことができる。
摩擦がなければ、同じ方向に進み続けてしまいます。

人は、何かと摩擦を解消しようとするけど

そうすると、間違っていても、修正が効かず、
さらに、境界面を感じ何かを生み出すこともできない。

 

 

モノとモノ

世界と世界の境界面には 不思議があふれています。

 

 

 

そして、あれからもうすっかり夏です。

 

 

 

満月とアワさって、この空間、本当にアワってます。笑

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おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

昨日の満月。

雲ひとつない空。

綺麗でした。

宇宙空間の中に、浮かんでいるのを感じました。

地球もこのように浮かんでいる。

不思議な世界です。

 

 

朝 太陽が昇るとともに目が覚めるので、どんどん早くなります 笑

寝室の高い場所の窓のカーテンはわざと夜の間に開けておくので

光が燦々と差し込んで、寝ていられません。

朝は何かと忙しく、運動したり、仏壇に手を合わせたり、そのロウソクの火で数本の

線香に火をつけて、各部屋の線香立てに立てて

家中がお香臭くなります 笑

 

でも、それで空気が目覚める気がするんですよね。

朝だよって。

 

その線香が切れてきたので

ネットでお香を探し始めました。

 

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十年ほど前に購入した、ガラスの香炉。

とても大切にしてきた一品なのですが

他にも紫色のものがあったなぁとネットで探し始めましたが

どこにもありませんでした。

 

 

ネットでガラスの香炉を見ているうちに

色が好きだなぁとつくづく感じました。

黄色や青やピンクや緑

淡い色や、鮮やかな色。

どれもこれも 心に響き、何が好きかと聞かれたら

今、ものすごく迷うだろうと思いました。

 

 

相似象の勉強を始めて寝室の大掃除をし、

寝るだけの部屋から、自分の部屋に切り替えたのですが

そのおかげで、何か考えたり、学んだり、深く潜るのはここでしかできなくなりました。

つまり、ここ以外の場所にいる時には

「自分だけ」という 枠組みから外れて

母だったり、友だったり、「繋がりの中の自分」へと切り替わり

切り替わることで、その空間ではできないこと、あるいは

その空間にいるときの自分を強く感じるようになったというか。

 

それは、空間の持つ振動数に「アワせられる」ようになった ということでしょうね。

 

空間を意識できるようになったとも、言えるのか。

「マ」って大事なんですよね。

 

時間、空間 これはどちらも「間」であり、トキ・トコロは同じもの。

その場が持つものを受け取ることで

時間のロスがなくなりました。

 

ひとりになり、考えたいとき、

自分を、世界を、感じなきゃいけないトキに、

自分の部屋の北側に向かう場所に腰掛ける。

そこに積算されたトキが新しいものを生み出してくれます。

きっと、有史以来持ち続けているこの場所の振動数が根底にあり、

それとアワさる体験をしているようです。

 

 

 

今朝は、線香が切れたおかげで、ネットで線香を買うのを後回しにして

お香の歴史や、お香の意義を、たらふく自分の中に入れました。

そして、ガラスの香炉に炭を入れ、灰を温め、香木をそっと置いたら

その瞬間から、空気が変わったのを感じました。

 

あぁ、香も好きだなぁ。

 

この部屋に引っ越してきた無印のCDプレーヤーで音を再生して、

あぁ、音も好きだなぁ。 笑

 

色・香・音

三拍子そろった空間で

この上ない満ち足りた時間。

 

深い部分で反応するものたち。

時々 こうして、自分帰還する時間は、切り替えの時にやってきます。

満月とアワさって、この空間、本当にアワってます。笑

 

 

 

 

 

 

 

自然の、植物の恵みを感じながらの時間は 何にも勝る予防医学です。

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こんにちは

ご訪問ありがとうございます。

 

富士山シフォン

すでに お腹の中ですが

かわいらしすぎて食べられなかった代物。

バニラ味でとっても美味しかったです。

日本一の山。

自粛規制で、富士山の空は抜けんばかりの美しさだと聞いています。

コロナリセットのせいで

空は昔を取り戻しているのかもしれませんね。

 

今日は草引きディ

 

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先月、

枯れてしまったみかんの木を処理したくて 

一人や二人じゃ心もとないので

招集をかけたら 7.8人集まってくれて処理。

 

その後、暖かくなって雑草がはびこりだして

草引き手伝ってくれると嬉しいなの感じをグループラインにあげたら

手伝いに来てくれました。

 

黙々と

本当に、ひたすら黙々と 草引き。

畑には野草もたくさんあるので

とっていい草と残しておきたい草とわからないと危険なのですが

わからないはずのこの人たち、 言わなくても サクサク。

みるみるうちに畑の雑草は取り除かれ 

みるみるうちに苗と種は畑に着地していきました。

 

土に触れていると

身体中に溜まりきった過剰な電気がどんどん地下に流れていきます。

つまり アース です。

土を触ると元気になるのは、不要な分の電気信号が体から放電して

新たな電気が取り込めていくため。

今は、自粛ムードで家の中にこもりきっていますが

人間には、土と光と風が絶対的に必要だと強く強く感じました。

家の中の運動じゃあ足りないことを痛感。

土に触れていると、イライラ感が減少します。

 

畑のあとは、決まって

駐車場に机を出し、みんなで持ち寄りのご飯をいただきます。

太陽の下での食事。

ハレの食事は、どんなものでも、体にいいに違いないと思えます。

それが、例えコンビニおにぎりでも

外で食べるという環境が加わるだけで

体に与えるものが変わるような。

 

深い話をしながら、

時には大きく笑いながら。

そして、深く呼吸をしながら

天然の光を浴びて、

自然の、植物の恵みを感じながらの時間は

何にも勝る予防医学です。笑

 

今年は

種から育てるトマト と 苗を買ってきて植えたトマト、両方植えてみました。

 

みんなで育てるという、

自分じゃない誰かの「手」が入っているから責任重大です。

みんなで、収穫できるように

今日のような笑顔の食事タイムを迎えられるように。

時間は積算。

日々の水やりを、笑いながら積み上げていけたらなぁ。

 

目には見えないものが充満しているこの世界では

「楽しい」と思える象が、あちらこちらに宿っていて

抽き出すことで、受け取れる。

今日も「象」として、本当に「楽しかった」というモノを積み上げられた1日でした。

 

 

 

 

 

 

「入り鉄砲に出女」

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こんにちは

 

ご訪問ありがとうございます。

 

コロナの中で始まったゴールデンウィーク

日本がバラバラになっていっているような気がするのですが

気のせいですかね。

 

明治以前の日本に戻っているというか。

幕藩体制

それぞれの藩に細かいことは任せておいて参勤交代制度で人質を取り

なお、二元体制にすることで、多額の資金を藩に溜め込むことを阻止した体制でしたが

お金やルールも藩で管理し、自治していたあの時代。

今もそれが残っているのか

他府県から入ってこられないような様々な措置をされているようです。

まるで、「入り鉄砲に出女」の入りコロナ対策ですね。

 

我が家などは、愛知県といっても 生活圏は買い物に岐阜県のスーパーに行ったりというようなことがあって、なんだか、買い物に出るのも気をつかう始末で、

木曽川にかかる橋を見ては、県境を感じます。

誰かが引いた見えないライン

今までそんなこと 思ったこともなかった。

 

今は、コロナを心配して、他府県ナンバーの車に石を投げる人もいるとか。

最近の報道のあり方を見ていては、致し方がないと思わんばかりです。

 

そんな中でこんな記事を見つけました。

 

diamond.jp

 

なるほどと思います。

 

「今、最も自粛しなければならないのは報道。」

この言葉が深く響きます。

 

そして、

何を見なければならないのか、

何を選択するのか

私たちも受け取る練習をしなければならないのかもしれません。

 

 

目に入るものが、希望のベクトルじゃないものが多くて

こんな風になっているのはなんでなのだろうと思いすぎてしまうから

なるべく私は報道番組を見ないようにしていますが

今朝読んだこの記事には、不安になって

なんども医療関係に足を運ばれている方がいることが書かれていました。

本来であれば、医療の現場を守ることが先決なのだけど

過剰な報道が、崩壊を助長しているというわけです。

 

世界では、

コロナの被害だけではなく

市民が暴動を起こし、医療従事者や警察と衝突しているのだとか。

今日も経済崩壊でレバノンで暴動が起き死者が出ていると知りました。

 

 

 

歴史は繰り返すと言いますが

世界観が変わる時には決まって

政治を動かしている人たちのところには「影の響」が届かない状態になっているとしか

思えない場合が多くて、今はそうではないことを祈ります。

 

 

占い師の「羽賀ヒカル」さんが言われていました。

「今はどんなに凄腕の占い師も未来が読めない時代なのです」

 

確かに、混沌とした世界から生まれ出るものは

「何にでもなる何か」であるから決まった塊ではない。

過去の歴史のデーターである占いや

誰か高名な人の直感で受け取ったものでは、計り知れない時代に突入したのでしょうね。

 

それは、ある意味

自分の行き方は自分で決める、そんな時の始まりなのかもしれません。

 

 

 

自然の摂理??

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こんばんは

 

今日はこんな時間になりました。

ご訪問ありがとうございます。

 

 

空気が澄んでいて

寒くもなく、暑くもなく、最高の太陽。

自粛モード真っ只中なので

近くをお散歩。

 

太陽の光がなんだか違う氣がするのは

太陽黒点がほとんどないせいでしょうか??

 

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一昨日の夕方の夕日

 

そして

今朝の朝日

 

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電線だらけの空間に真っ赤に燃える朝日です。

 

 

これ、
一周りしてきた同じ太陽なのだと改めて思いました。

当たり前のことなのですが。

地球が一回転することで、西に沈んだ太陽が東から昇る。

 

コロナ 太陽??

 

【ワシントン時事】米国土安全保障省は23日、新型コロナウイルスの死滅が太陽光の下や高温・多湿の環境で早まるという実験結果を公表した。詳しいメカニズムは分かっていないものの、ウイルス対策に役立つ可能性があるとして、トランプ大統領も関心を示している。
 国土安保省のブライアン科学技術局長代行は同日の記者会見で、環境別に新型ウイルスの半減期を比較した結果を発表。人体などの表面に付着したウイルスの半減期が、気温21~24度、湿度20%で18時間だったのに対し、湿度80%では6時間に縮まったことを明らかにした。
 湿度80%で気温を35度に上げると、半減期は1時間に短縮。気温21~24度、湿度80%で太陽光を当てると、わずか2分間で半減したという。
 ただ、熱帯に位置する国でもウイルス感染者が出ており、気温や湿度と半減期短縮の因果関係は未解明だ。ブライアン氏も「夏になればウイルスが全滅すると見なすのは無責任だ」と指摘。多くの州で外出禁止令が発令される中、感染予防のために日光浴を推奨するわけではないと強調した。 

 

こんな情報も出てきましたね。

 

コロナは太陽に弱い。

自粛で引きこもっていると 太陽光を浴びないから半減しませんね。笑

引きこもり生活のせいか、

あるいは天気が悪い日が多かったせいか、

私は、最近
時々、妙に太陽が恋しくなります。

 

自然の摂理??

 

多分、人間にも備わっているはず。

何かが足りなくなった時に

自然の中から補うことができる力。

 

こんな時だから

じっくり ゆっくり

自然の中を いつもの 2倍かけて歩きたい。

スローダウンした世界を受け取るタイミングかもしれませんね。

 

人々は、慌てて進化しすぎたから。

 

便利なものを全て手放して。

残像しかない、この世界をたくましく生きていく。

 

何かをしなければならないと焦燥感に取り憑かれて生きていた時よりずっと

何もいらないと思えるのは

コロナで停滞した日常のおかげです。

 

 

 

言葉をなくさないと本質は見えない 潜在意識である、言葉のない世界をたんまりと含んだ「言葉」を使える人になりたい

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こんにちは

いよいよ ゴールデンウィークですね。

今年のゴールデンウィークは毎年と少し違う。

毎年は、大抵のお家はお休みで、どこかにお出かけ。

でも、自分は仕事〜。なんだけど、

今年は、みぃんな 自粛で自宅待機モード。ですね。

ゴールデンウィーク 

この時期で、よかった。

気候も良くて、天気も良くて、気持ちはとっても晴れやかですから。

 

写真は、とあるお家の「モッコウバラ

満開です。

昔、この花も大好きで、育てたいモード満開でしたが…

2回挑戦して、撃沈。

こんな素敵に咲かせている人はどんな方だろうか。

通りかかる人たちにも、黄色の雰囲気をおすそ分けでした。

 

 

 

相似象 カタカムナの柱は「直観で処理する」

残された図象符は「直感力の力」そのもの。

つまり、

言葉をなくさないと本質は見えない ということを伝えてくれています。

 

 

 

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人は、書いたもの、聞いたこと、

言葉そのもので処理をしてしまうことが、よくあります。

そんな風に書いた、

そう言った 

その背景にどんなことが横たわっているのか、

全く考えずに、イメージすることなく

そのまま受け取り、そして判断する。

 

だから、

大切なことは、よくよく、考えてみたい。

 

最近、よく、そんなことを思います。

 

 

 

脳で処理した言葉には

余分な感情や、

余分な思い込みや、

過去の人生や、

んーーーー その他にも雑多ないろんなことが

のさっている。

 

 

今 今 今 今 でさえ

過ぎ去っていく「トキ」で、

どこまで行っても 

今 今 今 は 捉えられるものではありません。

科学では測定できない、そんな瞬間が常にあります。

それと同じように

考える前に、受け取っている大切なものは

「言葉」にならないものばかりで

なかなか、そのまんまを掴みとれないものだと気付かされます。

でも、

きっと、その「まんま」が

素直な自分の真ん中の「自分」

 

 

「ツウときて カァとくる」

 

 

少し前、関わってくれていたスタッフの中に

上回る「言葉」で伝えても伝わらない人がいて

能力は高そうなのだけど

同じ言葉を使用していないことは明白で、

それでも、能力の高さだけでつながり続けていたような。

 

今なら、どれだけ能力が高かろうが、

空気感が違うことは、関係性として致命的なことなのだと認識できます。

 

 

結局 言葉というのは 

表面意識のようなもので、

全体の3パーセントほどのものなのでしょうね。

本当に核になる大切な部分である 潜在意識の世界では

言葉で繋がるようなものではないもの。

 

けれど、
最初の一歩は

この「言葉」。

 

だから、潜在意識である、言葉のない世界をたんまりと含んだ「言葉」を使える人になりたいと思う昨今です。