言葉をなくさないと本質は見えない 潜在意識である、言葉のない世界をたんまりと含んだ「言葉」を使える人になりたい
こんにちは
いよいよ ゴールデンウィークですね。
今年のゴールデンウィークは毎年と少し違う。
毎年は、大抵のお家はお休みで、どこかにお出かけ。
でも、自分は仕事〜。なんだけど、
今年は、みぃんな 自粛で自宅待機モード。ですね。
この時期で、よかった。
気候も良くて、天気も良くて、気持ちはとっても晴れやかですから。
写真は、とあるお家の「モッコウバラ」
満開です。
昔、この花も大好きで、育てたいモード満開でしたが…
2回挑戦して、撃沈。
こんな素敵に咲かせている人はどんな方だろうか。
通りかかる人たちにも、黄色の雰囲気をおすそ分けでした。
相似象 カタカムナの柱は「直観で処理する」
残された図象符は「直感力の力」そのもの。
つまり、
言葉をなくさないと本質は見えない ということを伝えてくれています。
人は、書いたもの、聞いたこと、
言葉そのもので処理をしてしまうことが、よくあります。
そんな風に書いた、
そう言った
その背景にどんなことが横たわっているのか、
全く考えずに、イメージすることなく
そのまま受け取り、そして判断する。
だから、
大切なことは、よくよく、考えてみたい。
最近、よく、そんなことを思います。
脳で処理した言葉には
余分な感情や、
余分な思い込みや、
過去の人生や、
んーーーー その他にも雑多ないろんなことが
のさっている。
今 今 今 今 でさえ
過ぎ去っていく「トキ」で、
どこまで行っても
今 今 今 は 捉えられるものではありません。
科学では測定できない、そんな瞬間が常にあります。
それと同じように
考える前に、受け取っている大切なものは
「言葉」にならないものばかりで
なかなか、そのまんまを掴みとれないものだと気付かされます。
でも、
きっと、その「まんま」が
素直な自分の真ん中の「自分」
「ツウときて カァとくる」
少し前、関わってくれていたスタッフの中に
上回る「言葉」で伝えても伝わらない人がいて
能力は高そうなのだけど
同じ言葉を使用していないことは明白で、
それでも、能力の高さだけでつながり続けていたような。
今なら、どれだけ能力が高かろうが、
空気感が違うことは、関係性として致命的なことなのだと認識できます。
結局 言葉というのは
表面意識のようなもので、
全体の3パーセントほどのものなのでしょうね。
本当に核になる大切な部分である 潜在意識の世界では
言葉で繋がるようなものではないもの。
けれど、
最初の一歩は
この「言葉」。
だから、潜在意識である、言葉のない世界をたんまりと含んだ「言葉」を使える人になりたいと思う昨今です。