タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

モノとモノ 世界と世界の境界面には 不思議があふれています。

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こんばんは

ご訪問ありがとうございます。

 

本当に久しぶりの投稿になりました。

こんなに時間が空いたのは、このブログを始めてから初めてのことではないかと。

 

でも、一瞬でした。

5/8から今日まで、ひたすら 走り続けていただけでした。

 

この虹の写真を撮ったのは

5/19

亡くなった旦那さんとの結婚記念日が 5/20だったので

心に沁みしまた。

 

あぁ、虹だなぁって。

 

混沌とした、選択のしようのない現状の中で

ひたすら目の前のことをやり続けるだけという

今までの人生であまり体験のしたことのない「コツコツ」感、

真っ只中に現れた

「ニジ」

なので、本当に心に沁みましたし、旦那からの贈り物だとさえ思えた自然現象。

 

青空と一緒に虹が出ることってあまりないので

自宅から外に出たり、入ったり、

雨でびしょびしょになりながらカメラを手に歩き回ったあの時は

なんだか、めちゃめちゃ

生きているんだなと感じたトキでした。

 

生きている私と死んだ旦那

見えている自分と見えない彼

 

現象はそんな風につながり合っています。

ある境界面を境に。

虹が出たトキ、
その境界面を感じたわけです。

何もないところに 七色の美しい風景が表れでる。

いつか消えるその時に

私は何を思うのだろうかと、ぼんやりと思っていました。

今は、見えているそれが

そのうち 消えていくその瞬間に何を思うのかと。

 

そんなことを思っていたら

知らない間に薄くなって、そして 気がついたら消えていました。

 

多分

それは、

この先の何ごともそうなのだろうと。

知らない間に、薄くなって

そして 気が付いた時には、消えているのだろう。

 

見えている間に

カメラが濡れないように必死になりながらも

なんだか めっちゃ生きている感覚を感じながら

あちらに駆け、こちらに走り、している。

つまり

生きている間に

バタバタ動き続け、生きている感覚を味わい尽くす。

 

気がつけば消えてしまうから

それまでは、

バタバタしながら

走り回れば、虹はそこにあり続けてくれるのでしょう。

 

 

 

 

年に2度の大きなヤマを超えて

今は、体も心も疲れ果てていてしまっていますが

数ヶ月ぶりに立ち寄った本屋で見つけた本に

「摩擦がなければ歩けない!」というフレーズを見て

妙に納得してしまいました。

ここまで、突っ走った結果

今までの自分にない頑張り方で

過去の自分にはない要素が表れ出てきていて

何か違和感というか、

変わることへの恐怖というか、おそらくそんなことが、「摩擦」となって

何か ストップをかけてくれているのだ。と思っていたら

逆でした。

それが、なければ進まない。笑

 

面白いなぁと思います。

 

摩擦があるから、地面を蹴って歩くことができる。
摩擦がなければ、同じ方向に進み続けてしまいます。

人は、何かと摩擦を解消しようとするけど

そうすると、間違っていても、修正が効かず、
さらに、境界面を感じ何かを生み出すこともできない。

 

 

モノとモノ

世界と世界の境界面には 不思議があふれています。

 

 

 

そして、あれからもうすっかり夏です。