タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

なかいま 自分に自然に寄り添う。

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こんばんは

 

ご訪問ありがとうございます。

こんな時間になりました。

 

怒涛のような1週間が過ぎ、ようやく日常に戻りつつあります。

なんだかよくわからないのだけど

11/11よりも前の自分とほんの少し違っていて、

「ゆったり」とか「ゆっくり」とか、そんな感じで漂い続けている「いま」を

感じています。

 

今までやり残してきたものや

惰性でやり続けているものたち

ひとつひとつ自分に問いかけながら

これからの時間に何が必要で何は必要でないのかを考え始めています。

 

昨日、書いた

「なかいま」

仏教の言葉だと聞きました。

「自分の中心・真ん中のど真ん中」

それを「なかいま」と言って、ここが、いつも満ち足りていること。

そうであれば、幸せでないはずがありません。

かつて、ご機嫌魂 これを「ごきたま」と短縮して

ご機嫌であり続けることを狙っていた時期もありましたが

あれは、なんか違っていました。

だって、ご機嫌であるために

・こんな風でなければならない

・こんな風に思ってはいけない というような

なんか 強迫観念っぽい感じでしたから。

 

「なかいま」は

真ん中のど真ん中の自分を、ただただ感じてやればいい。

そこは、そうしてやることで不思議に安心感や安定感が芽生えてくる。

まるで、今の自分がそこに光を射し込んでやるかのような感じ。

 

13日のセミナーの時にその話を聞いてからというもの

意識的に「なかいま」を整えることを続けてみました。

ほんの一週間前のことです。

今から思えば その頃、セミナーと講演会・ワークの開催を前に

結構いっぱいいっぱいだったような気がします。

それにつられて、中心軸が不安定になっていたかのようで

全く関係のないこと、

例えば、大切な連絡が入らないようなことだったりに

妙に心細くなったりしていて不思議でした。

 

「なかいま」を整えることで

腹が決まり、自分が決まる。

 

整え出して少し経った頃

「自分への執着以外、全てを捨てたら軽くなる。

 執着するのは、自分の思いに対してだけ」

そんなことをふと感じました。

自分の本質に触れたからかもしれません。

 

誰かの思いや誰かへの思い

期待や欲求

これもそれも 全て 「自分の思い」

「自分の思い」だからこそ 必ず自分でなんとかできる。

なんだか、勝手に力強くそう思っちゃったんです。笑

 

それから、時折、

自分の「なか」の「いま」にアクセスしています。

 

カタカムナで学んだトーラス構造。

それは自分の中にあって

思いの振動はそんな風に循環していることを体験したような気がします。

「夢は叶う」 の 言葉の音の波動は

ここが整えば、夢見たものが簡単に現象化していくのだろうと思います。

多分、きっと。

 

真ん中のど真ん中の自分。

それこそが 「マイ たねのおと」ということ。

足りないものを足すのでもなく

多いものを削るのでもなく

漂いながら響かせてやればいい。

整えるのは流してやることなのかもしれません。

気が付いた今は、

少しだけ、見ている場所が違っているような気がしています。