タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

沖縄の幕開けは「カタカムナ」の始まりでした。

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沖縄に入った日、大雨の予報だったにも関わらず

一滴の雨にも出会いませんでした。

海の舞で待っていてくれたのは 古代蓮のつぼみ

思ったより、ずっと湿気が分厚くて、毛穴という毛穴は全て開きっぱなし。

 

勢いよく「ただいま」と扉を開きたかったのですが「鍵」が開かない!!!

蚊と格闘しながら、四苦八苦。

諦めて沖縄のスタッフに電話をしてSOSを求めた後ですんなり開いた鍵。

慌てて、また 電話して

「もういいよー」と。

「ゆっくりお過ごしくださいねー」の爽やかな一言を耳に残したまま

深呼吸をして扉を開き、

「ただいま」を玄関ホールから建物に響かせてみました。

さざなみが…一瞬貫いたような感覚があってやっぱり不思議なところだと心から思いましたよ。

 

ひんやりとした空気は エアコンのせい。

広い広間にすっきりとした空気が漂います。

 

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2日後から始まるツアーの初日に予定している

「愛と笑いのカタカムナ講座」のために先生が描き上げた「カタカムナうたひ」の絵が

31枚 ホール全体を取り囲むようにずらりと並べられていました。

 

絵にこんなに「力」があるとは。

 

色とりどりで描かれた「色」は「イロ」であり「違呂」であると思います。

それぞれが違った光を放ち、空間を演出している。

そして、その光が空間に放たれることで、また空間をクリエイトしている。

真ん中に座してしばらく見つけ続けていると

全てが穏やかに調和していることを感じます。

 

自分が死んだ後にたどり着く場所で

私もこんな風に自分の人生を見せつけられるのではないだろううか。

その時に、こんな風に色とりどりの、様々な風合いの人生であるようにと

祈らずにはいられませんでした。

そして、それが「私」という空間のなかで調和していますようにと。

 

夜になって、

啓子先生が那覇から帰宅され、海の舞に来てくださいました。

そして絵の解説を一枚一枚丁寧にしていただきました。

31枚の絵の変遷をお互いに感じ取りながらお話をしたのですが

積み重ねていくことの大切さや

続けていくことの大変さ

そして

自分を表現することはいかなるものなのか

先生の話からたくさんヒントをいただきました。

 

例えば

カタカムナに接するとき、この振動を自分はどのように表すことができるのだろうかと考える。

先生にとっては「絵」だったようで、それをこんな風に語られました。

 

「ちゃんと習っていないから自由なのよね。

 枠の中に存在していないからこそ 自由な発想で絵がかけるの。」

 

カタカムナの根本は「うたひ」ですから、

そのエネルギーを絵にしたらこうなった。とも。

シンプルでわかりやすい。

 

自分ならどうやって表すのか。

これは客観的に自分を捉えることができていないと難しいのかもしれませんが、

みんなそれぞれに自分のツールがある。

私ならなんだろうなぁと今もって考えています。

ただ、表現方法はわからなくても、まずは

根源に戻って「うたひ」から再出発しようと心に決めた夜。

沖縄の幕開けの始まりは「カタカムナ」でした。