タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

もし ことばが目に見えたら。 私は、「その人の嘘」をどんなかたちで見ただろう。

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少し前

と言ってもずいぶん前、

友人がこの絵本をくれました。

 

とあるきっかけでインターネットラジオに出て

亡くした友人の話になりました。

大好きなその人とのご縁は、学生時代にバンドを組んで歌っていたこと。

そんな話をラジオの収録でしたら、ちょうどPAをされていた方が

ボイストレーナーの先生で、

本当に思いつきで、

声の世界にもう一度どっぷりつかってみようと通い始めました。

 

その先生の提案で、ゴスペルがスタートして

そこで出会った友人が、くれた絵本。

彼女は大人に絵本を読み聞かせする人でした。

毎回、ゴスペルの発表の時には絵本の読み聞かせをされていました。

2回目のゴスペルの時に読まれていた絵本

「ことばのかたち」

おーなり由子さんの書かれた絵本。

 

彼女の写真を撮ろうと柱の影から狙っていた私は、
彼女の読むその「ことばのかたち」にココロを持っていかれちゃいました。

 

最後のフレーズが残ります。

「まいにち 消えていく 話しことばのむこうの

 こころのかたちをさがす。

 

 花が歌いますように

 

 ひかりがわらいますように

 

 たいせつなひとに

 花のようなことばを

 とどけることが できるように

 

 とどいたことばが

 こもれびのように わらいますように」

 

ずっとずっと 私の中に響き続けた音。

あとがきに書かれています。

 

知りたいのは、言葉そのものではなく

どこにも書いていない、消えてゆく言葉の、そのむこうのけしき。

ひとは、思っているよりも、ずっとたしかに、言葉のむこうをやり取りする力を持っている気がするのです。

 

平気で嘘をつく人の言葉の向こうには

悲しい振動しか感じないのですよね。

そして、その悲しい振動の「本当」は、

その人の「自分」にも「嘘」をついている証し。

だから、

出会った後も、淋しいのです。

 

嘘をつかせたくないなと思うのです。

その人は弱いから、本当のことが言えないだろう。

だから、私自身は、その人に嘘をつかせたくないと思ってきました。

 

私が「ことばのむこう」に敏感に反応するようになったのは

その人のおかげかもしれません。

 

前述の彼女と初めて飲みに行った時

そっと 袋から差し出された絵本。

 

「ことばのかたち」

全容を知らなかった私は、帰ってきてその絵本を読んで

泣きました。

 

なんだかわからない涙でした。

 

ずっと 目の前の本棚にあって

いつもこころ支えてもらってきたコトバたち。

 

昨日その絵本を開いてみて

違う涙がこぼれました。

 

泣けるねって 絵本の写真と一緒に彼女にラインをしたら

「うん。泣ける。」
「アヤコさんに出会えてよかった」
「ありがとう」
「だいすき❤️」
って 矢継ぎ早にことばが届きました。

その言葉の向こう側にある景気に。
たくさんの愛が広がっていました。

 

 

 

 

 

もし ことばが目に見えたら。

私は、「その人の嘘」をどんなかたちで見ただろう。

その「嘘」の景色を、花が歌うように色を添えられる自分になれたら

きっと、一緒にいても寂しくないのに。

今は、とてもそれに太刀打ちできる「私」にはなれていません 笑

 

自分がもっと 大きくなれますように。

寂しさも力に変えられるように。

私の景色が、優しい振動であふれていきますように。