「本当」であれば 伝わるものは その人にとって必要なものだけ。
言葉で伝えていると、
それが本当に私の真実かどうかわからないなと思うことがあります。
自分と目の前の人の「響き」の相互作用。
相手を見て、相手の響きを感じてそして作り上がる世界。
それが意識の上での「自分」というものじゃなかったかな?って思うこと
がありました。
それは、決まって後から、その「とき」を感じた時に思うことなのですが、
こうして、「書く」という表現は
いつも、自分の内側の中で起こる正・反の作り上げ。
限りなく「いま」の真実の中の響きだと思えます。
一方通行は安心。なのですよね。
つまり。
今の私には、相手によって
アメーバーのように心の形が変わってしまって
それが あとあと、
「それは自分じゃなかったな」って思うことがあるってことです。
相手の存在が「偉大」だってことですね。
影響されてしまうわけですから 笑
「自分をもつ」これ最大のテーマですけど
ときには
人に影響されて「ぶらんぶらん」の自分も。
感情が揺れて揺れて
着地点がわからなくなる。
そんなときに決まって眠くなってしまいます 笑
人と関わるってしんどい反面
自分の知らない無意識を引っ張り出されて驚きます。
あれ、こんなこと思ってるんだなぁってことも。
実は、とっても豊かなことです。
けれど今は…
少し静かに一人で表現を続けたいなって感じです。
誰かの反応で変化していくのでなくて
自分の内側を深掘りしていくような
否定されていると感じる自分の弱さを
一人で静かに克服していくような
そんな感じ。
正直
「こうしたら?」
「ああしたら?」
って言われるたびに
今の自分がダメだとダメ出しされているように感じる自分があります。
ねっ
親切に言ってくれているのに。
今はそれに応える気がない 笑
口では
「そうだねー」と言いながら
それを選択していない自分が「腹の底」にあるわけです。
そんな中で自分の主張をしようものなら
また 何か自分ではない、違う方向に進んでいってしまうこと
体験からよーく学びました。
言葉ってもろ刃の剣です。
吐いてしまうと
その波動は直線的に
ダイレクトに伝わっていきます。
なんだか方向性を持ってるような気がする。
吐いた自分も、受け取った誰かも傷つくような時もあります。
言葉の定義で思わむ誤解を生んでしまったり。
売り言葉に買いことば。
つい、吐いてしまった言葉は
心の作用でなかった時
後から後悔することもあったり。
自分で傷ついてみたり。
「本当」であれば
伝わるものは
その人にとって必要なものだけ。
優しい言葉を繋ぎたいと思います。
自分の内側の正反のリズムを
丁寧につなぐことだと感じています。
そして、いつも冷静に言葉を使いたいとつくづく思うのでした。