タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

振動こそが生きるそのもの。今もその振動が私の中で渦巻いています。

おはようございます。
neverLandです。
帰ってきました。
大阪のカタカムナ2DAY
熱かったです。

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帰りは雨が降ったり止んだり。

雲に表情があって

助手席に乗っていたらカメラは雲の写真で満タンになっていただろうと思うほど。

 

「学ぶこと」

好きだなぁとしみじみしました。

 

「文字を扱うこと」も好きなんだなぁと

それもしみじみ。

 

言葉ってうつくしいなぁって。

この雲とおんなじぐらい。

 

カタカムナ講師養成講座で学ばれている皆さんの使われる言葉の美しいこと。

 

聞いているだけで心がときめきます。

 


転がり入る

転がりでる

示し

調和

遮り

伝わる

根源

 

普通の言葉でもなぜかあそこにいると

言葉に力を感じるのです。

 

醜いは姿形が汚いのではなく

「見えにくい、見にくい」なのだとか。

 

固定観念にどんどん修正が入ります。

脳波が修正されるんですかね。

 

そんな中で

夕焼け時分に伊吹山のあたりに差し掛かりました。

 

少し暗くなってきた伊吹山

 

不思議にハートがじんわりしたんですよね。

なんだろうなぁと思って。

考えずに心漂わせていました。

思い出したのは…

 

実の母が亡くなった時

大阪から母の肉体を愛知に運んでいただきました。

私は車で行っていたので、

母の遺体とは別の車でひとり愛知に向かう道で

赤々と燃えるように照らし出された伊吹山を見ました。

 

あんなに赤く燃える伊吹山は生まれて初めてでした。

あの時、魂は本当にあるんだと心から確信したんです。

 

 

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近江に向かう高速で、どーんと姿を表す伊吹山

私にとって母の象徴なのかもしれません。

幼い頃

父が病気で預けられた叔母の家は伊吹山の麓でした。

思えば伊吹を見ながら大きくなった私。

山東町の三島池の辺りからは

本当に大きな伊吹山を望むことができました。

「あの山の向こうからお母さんが会いに来るよ。」

いつも、叔母は私にそんなことを言っていました。

 

今までなんどもこの道を通りながら

こんなに風に

魂が振動したことはありませんでした。

 

我ながらびっくり。

 

伊吹山はいぶき山。
カタカムナで思念読みすると
「伝わるものが内側で増殖したエネルギー」の山

今や、母や叔母が伝えてくれたものが内側で増殖して

私の内に響かせてくれる山となりました。

 

帰宅後少し調べてみると
麓に天武天皇不破関を置いたり

白山を開いた泰澄が伊吹山に入り白山信仰を伝えたり

野草はといえば日本で最多種の野草が伊吹山にはあったりと

何かと今やっていること

やろうとしていることにご縁があり驚きます。

 

 

 

 振動こそが

生きるそのもの。

 

今もその振動が私の中で渦巻いています。

 

 

 

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