タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

この青い空は大切な人の上に広がっている。大切なイスラエルの人たちの上にも。

帰国しました。

 

昨日の夜 遅く。

仁川からセントレアの飛行機が30分遅れ。

飛行時間1時間と少しの予定が かなり遅れました。

すっかり 熟睡モード。

 

ありがたかったりして。

 

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最終日のエルサレムは 真っ青の青々とした空。

この空は、大切な人の上にも広がってる。

大切な人たちが、幸せである様に。

笑顔に包まれます様に。

そんなことを、オリーブの丘を見ながら祈りました。

 

キリスト受難の道。

なぜか、そこを歩いている時間

感謝が溢れて仕方がありませんでした。

 

喘息がひどくて、どこにいても坂道はゼイゼイ言っていました。

坂道だと聞いて覚悟していました。

けれど、そこは大丈夫でした。

いつも、最後尾をゆっくりゆっくり歩んでいた私なのに

なぜかいつも最前列にして

ガイドさんにいろんな話を聞くことができました。

 

キリストが2000年前歩んだ道は

今では、お土産やさんが所狭しと立ち並んでいます。

 

日本に生まれ、日本で育ち、

人種の違いや宗教観の違いで追われたりする感覚がわからないでいました。

多神教の日本では

神様が違うことで、壁ができることはありません。

 

救世主であるジーザスクライストを受け入れるとユダヤ教はぐらつく。

そのために

クライストは生まれた時から追われる運命でした。

 

コルゴダは骸骨という意味だそうです。

 

磔になった場所には 聖墳墓教会が建っていました。

十字架の穴には

今や世界中から人が集まってきています。

 

日本で言えば

伊勢神宮」の様な感じでしょうか??

それでも 日本のご神体は見ることができません。

 

十字架の穴は厳重にガラス張りになっていましたが

その上から人が撫で キリストを感じていました。

 

うちなる光

自分であるというエネルギーこそ

ジーザスクライスト

 

I believe my self.

 

そんな言葉が浮かんできたのは偶然ではないでしょう。

 

荘厳で分厚い壁は

何を守っているのだろう。

 

1852年にオスマントルコが下したステイタス・クォ(現状維持)の勅令のもと、教派ごとに礼拝できる曜日や掃除できる場所、用具を置いてよい位置などが厳密に定められ、「変更」は認められなくなった。その原則はこの梯子にもおよび、事実上どの教派の聖職者も動かすことができなかった。木の梯子が朽ちるとまた新たな梯子が代わりにこの場所に置かれ、不動の梯子は150年以上にわたってその現状を維持したのである

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その梯子がこの梯子

 

帰国して 朽ちると次の梯子をかけることを知りました。

 

全てに意味がある

 

学んでいるカタカムナの講座はこれがベースにあります。

 

「全てに意味がある」

イスラエルの旅にも。

 

大きな振動でした。

揺さぶりは果てしなく。

 

少しずつ少しずつ

解放したいと思います。

 

感じたこと

見たもの

心が振動したこと。

 

これから 少しずつ。