タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

マワリテ メグル 自転しながら公転する 

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こんにちは

 

ご訪問ありがとうございます。

 

少し前に来たメールに

竹取物語のことが書いてあって、

かぐや姫があんなにもてたのは、西洋から来た美しい姫だったからではないかと。

月に帰ったとは、遠い遠い大陸に帰ったってことなのではと。

なるほどなぁと思っていたら

この前、京都に行った時の写真が目にとまりました。

京都の嵐山。

清々しい空気、とは少し違う、人だらけの嵐山でしたが

そういえば、海外の方の方が多く、浴衣を着た姿もとっても美しかったことを思い出しました。

スラリと伸びた背の高さや、姿勢の良さは、竹林にすっくりと収まります。

本当に、そうなのかもしれん!! と 

届いたメールのタイミングを感じています。

 

最近、こんなことがよくあって、

例えば フェィスブックって

親切に○年前の今日はこんな日だったよって教えてくれたりする機能がありまして、

この前、数年前にそういえばこの人たちと飲みに行っていたなぁと懐かしく思い出していて。

で、その写真があまりにも素敵すぎたのでダウンロードなんかして、

写真のアプリを開くたびに思い出していたら。

3日後に、そこに写っていた人から、めちゃめちゃ

ひっさしぶりに、ラインが来たりとか、

それこそ 何年も前にあった人のことを、

唐突にふと思い出していたら、その夜、夢を見て。

また、その夢に限って

なんか意地悪されていたんだけど、なんとまぁ、その日に、その人から絵葉書が届く。

 

そんなことを娘に話したら

「いよいよ 母さんの人生もクライマックスやなぁ」と言われました 笑

なんのこっちゃ。

 

 

天然自然の運動は

マワリテ メグル なんですよね。

自転しながら公転する。

自転しながら公転することで存在を保っているところがあって、

この地球も自転しつつ、実は大きく公転していたりするのです。

 

その雛形は多分

人間の人生にも置き換えられていて

ただ今のことをやりながら、ながーい見通しをする。

そんなことを、噛み合わせながら、重ね合わせていくことで

熟成していくような。

 

イマ イマ イマ と

今しかない と 言いながら

その実、遠い遠い未来のことを予想しながら動く。

ミクロとマクロが噛んだところに自分があるのでは無いだろうかと

ふと、思ったりしていたのです。

 

全てに意味がある 

というのは、実はそんなことかもしれないなぁとぼんやり思っていると、

昔の人たちがどんどん蘇りしてきて

そんなこんなしてたら

現実的に今の次元に現れ出る。

 

なんか 面白い現象だなぁと思って。

 

そのいただいたメールの最後には

「竹から生まれたかぐや姫

 中が空洞であるということで竹なのかもしれませんが」と締めくくってあります。

 

空洞でも、充満しているモノがあります。

その濃度というか、濃さというか、渦巻いているものが

今を作り上げているのかもしれませんね。

 

 

本質の思いと、そこから発した行動が一致した時 奇跡は当たり前のように起きてくる

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おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

昨日の夕焼けです。

綺麗でした。

昨日は サロンでワークショップでしたので

ご参加いただいた方とみんなで見ました。

綺麗だね と言い合いながらの夕日鑑賞。

共有できることの幸せを感じます。

 

カタカムナを学び始めた頃から
思考と心の関係をよくよく考えるようになりました。

無意識の存在や

宇宙で在ることの意味や

今まで言葉としてよく言われてきたことを

なんとなく ではなくて 理解しようとしてきたというか。

 

宇野先生はその学会誌の中で

「眠らせている脳」のことについて書かれています。

眠らせている脳を起こすには「感受する」ことであり、

波動量とは 脳の持つ生命の力で在ると。

以前にも書いたかもしれませんが

「脳の力は感受する心と同じ生命力から出ているから

 脳の能力を鍛えれば、無意識のうちに感受の力も高まる」

だから、思考をストップしようとしなくてもいいし

更に言えば

思考を働かせていると

次第に、ココロで感じるチカラも鍛えられるのであるという

わたし的には妙に納得する生き方を知ってから

思考を止めることなく、考えたい時には常に常に頭を働かせていました。

 

そして 行き詰まった時

深く深く深呼吸することで、シフトする。

そんなことを繰り返しながら。

 

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自分がなんのためにここの在るのかとか
つまり 自分の使命とかについては、

ずっとずっと、わたしにとってあまり興味のないことでした。
目の前のことを、 
準備されていることを、
淡々とこなしていくことをしているだけだと思っていましたし、
それは、今も変わりません。

でも、そんなことを繰り返しているうちに
自分の存在意義というか、

このことだったんだということに集約されたことがありました。

それ以上でも以下でもなくて、

それは、大層なことでもなく、壮大なものでもなく

この命がそのためにあったのかと思うと

拍子抜けしそうなことだったのですが

それでも、

それを知った後はとても楽になった経験があります。

 

だって、それだけを表現していけばよくて

それだけを腹の底で発していればいいわけですから。

 

その時に初めて

「脳の能力を鍛えれば、無意識のうちに感受の力も高まる」

ということがどういうことなのか、意識することができました。

 

 

考えればいい。

思考回路を使うことが、眠れる脳を揺さぶり続けていくことになるのなら

「考える」という行為は、とても重要なことになります。

思考が動き続けて、眠れる脳が目覚め、

そして、自分の本質がわかった後は本質のまま生きること。

 

本質の思いと、そこから発した行動が一致した時

奇跡は当たり前のように起きてくるのだと思います。

 

 

大切なものは、いつのものだって 深く深く刻み込まれています。

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おはようございます。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

昨日は紅葉を見に行ってきました。なんて

な 訳だけではないのですが

紅葉が綺麗で驚きました。

私はそんな人じゃなかったから、さらに自分に驚きます。笑

 

桜は好きでも、秋の紅葉はあまり興味がなく

綺麗綺麗とはしゃいでいる人を見て

「ただの葉っぱ」と思っていた人でしたから。

 

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最近はよく目に入ります。

 

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頑張った夏の後の変容の姿に心揺れる。

これからは、力を蓄える冬ですね。

 

葉を落とした木々に心揺れる時が来るのだろうか。

 

 

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神社に詣でて、紅葉を見て

急ぎ足で歩いて 目的はあるようでないようなそんな時間が

たまらなく愛おしいのは

大切なことを大切にさせてもらえてるこの環境のおかげ。

ありがたいなぁとしみじみ感じた昨日。

 

そんな愛おしい時間はどんどん「過去」になっていきます。

 

過去をカタカムナ的に見ると

カ チカラが

コ 転がり出る 

数霊 カ  25+コ16= 41  ヲ

ヲの思念は

目に見えない奥に到達して収まる。

 

収まってるものは

転がり出てくれるものは

楽しかったり

嬉しかったり

愛おしかったり

励ましたり

今の自分に「チカラ」を与えてくれるものだけでいいなと感じました。

 

自分を辛くさせたり

悲しくさせたり

苦しくさせたり

そんな自分を弱くする「思い込み」=過去は解き放って楽になろう。

 

 

 

 

 

イチローさんの言葉でとっても好きな言葉があります。

座右の銘というか、時々 思い出しては口にしている言葉。

 

「進化する時っていうのは、カタチはあんまり変わらない。

 だけど、見えないところが変わっている。

 それがほんとの進化」

 

思い出しては

自分がどれだけ進化したいのかを味わうのですが

この言葉を思うたびにホッとします。

カタチを変えよう。

見せよう。

理解してもらおう。

伝わらないと意味がない。

という社会の中にいて

時々、逃げてしまいたくなる自分が在る時この言葉の原点に戻ります。

 

生産性や合理性を追い求めている現実社会の中で

自分のやっていることが無駄なことだと思ったり

器用に前に進み続けている人たちを見て劣等感を抱いたり

あの時、その時、勇気を持てればよかったと後悔したりしている自分に

「自分の決めてきた運命」に

心 委ねて生きていくことでいいんだと背中を押されているような

そんな気分になるのです。

 

紅葉を見て綺麗だなぁと思ったり

急ぎ足で歩きながら誰かについていきたいと思ったり

そんなことが 自分に勇気やチカラを与えたりすることに気付いた時、

少しだけど嬉しいや、楽しいや、愛おしいの言葉の震えが以前と違っている。

 

そんなトキ

見えないモノに囲まれているような気持ちになって

ずっとこのままでいられたらいいのにと思います。

 

現実は、

日常の不安定な響きの中に戻って

不安定さの中に生きることを巧みに操るために

見事に思考の世界に戻されてしまうのですが、

写真を見ると思い出す雰囲気に、

 

カコはチカラを与えてくれるもの。

チカラを送り続けてくれるカコにだけフォーカスしたい。

そんなこと感じます。

 

自分が感じたことだから

いつだって拾い出せる。

大切なものは、いつのものだって

深く深く刻み込まれています。

 

 

 

 

 

 

なかいま 自分に自然に寄り添う。

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こんばんは

 

ご訪問ありがとうございます。

こんな時間になりました。

 

怒涛のような1週間が過ぎ、ようやく日常に戻りつつあります。

なんだかよくわからないのだけど

11/11よりも前の自分とほんの少し違っていて、

「ゆったり」とか「ゆっくり」とか、そんな感じで漂い続けている「いま」を

感じています。

 

今までやり残してきたものや

惰性でやり続けているものたち

ひとつひとつ自分に問いかけながら

これからの時間に何が必要で何は必要でないのかを考え始めています。

 

昨日、書いた

「なかいま」

仏教の言葉だと聞きました。

「自分の中心・真ん中のど真ん中」

それを「なかいま」と言って、ここが、いつも満ち足りていること。

そうであれば、幸せでないはずがありません。

かつて、ご機嫌魂 これを「ごきたま」と短縮して

ご機嫌であり続けることを狙っていた時期もありましたが

あれは、なんか違っていました。

だって、ご機嫌であるために

・こんな風でなければならない

・こんな風に思ってはいけない というような

なんか 強迫観念っぽい感じでしたから。

 

「なかいま」は

真ん中のど真ん中の自分を、ただただ感じてやればいい。

そこは、そうしてやることで不思議に安心感や安定感が芽生えてくる。

まるで、今の自分がそこに光を射し込んでやるかのような感じ。

 

13日のセミナーの時にその話を聞いてからというもの

意識的に「なかいま」を整えることを続けてみました。

ほんの一週間前のことです。

今から思えば その頃、セミナーと講演会・ワークの開催を前に

結構いっぱいいっぱいだったような気がします。

それにつられて、中心軸が不安定になっていたかのようで

全く関係のないこと、

例えば、大切な連絡が入らないようなことだったりに

妙に心細くなったりしていて不思議でした。

 

「なかいま」を整えることで

腹が決まり、自分が決まる。

 

整え出して少し経った頃

「自分への執着以外、全てを捨てたら軽くなる。

 執着するのは、自分の思いに対してだけ」

そんなことをふと感じました。

自分の本質に触れたからかもしれません。

 

誰かの思いや誰かへの思い

期待や欲求

これもそれも 全て 「自分の思い」

「自分の思い」だからこそ 必ず自分でなんとかできる。

なんだか、勝手に力強くそう思っちゃったんです。笑

 

それから、時折、

自分の「なか」の「いま」にアクセスしています。

 

カタカムナで学んだトーラス構造。

それは自分の中にあって

思いの振動はそんな風に循環していることを体験したような気がします。

「夢は叶う」 の 言葉の音の波動は

ここが整えば、夢見たものが簡単に現象化していくのだろうと思います。

多分、きっと。

 

真ん中のど真ん中の自分。

それこそが 「マイ たねのおと」ということ。

足りないものを足すのでもなく

多いものを削るのでもなく

漂いながら響かせてやればいい。

整えるのは流してやることなのかもしれません。

気が付いた今は、

少しだけ、見ている場所が違っているような気がしています。

 

 

 

駆け抜けた一週間

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寒くなりましたね。

ご訪問ありがとうございます。

 

駆け抜けた数日でした。

 

たくさん笑って

「人ってすごいな」を体験した数日でした。

 

昨日は残務処理と

久し振りに買い物に出ました。

 

何を買うでもなくプラプラして

なんとなくの時間を過ごしましたが、

これがまた、心地がいいこと。

 

ただ今

「なかいま」にはまっております!

 

今日も、

久しぶりにカメラを手に古都へ。

 

なんとなく

心が向く方へ。

 

秋の美しさを

ゆっくり、じっくり

味わい尽くします。

 

「なかいま」

の詳細は明日にでも…

本当に楽しい毎日を過ごせています

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こんにちは

 

ご訪問ありがとうございます。

 

しばらく 潜態していました。

まずは めちゃめちゃ忙しくて、

地に足がつかない感じの時間を過ごしています。

 

来週 大きな大きな講演会とセミナーの企画があって
さらに、予定人数を超える満席状態で準備に慌ただしい上に、

ライブがあったり、友人の一周忌・偲ぶ会があったりと

いろんな意味で、振動が大きくなっているような感じです。

 

そんな中で、ふるさと 大阪に行くことがあって

仕事は午後からだったので、ついでに伊勢に立ち寄りました。

ついでに「伊勢」って感じの距離感ではないのですが

大嘗祭が終わり、令和元年の間にどうしても行っておきたかったので

隙間時間を利用して。

 

とにかく、いいお天気で、とある場所は

上の写真のような風に光に満ちていました。

 

数年前までは、年末には必ず伊勢詣でをしていましたが

御柱で諏訪にお世話になってからは諏訪に向かうようになり

少し遠のいていました。

数年ぶりの伊勢神宮

すっかり変わってしまっていて、大いに驚きました。

 

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とにかく すごい人!!!!!

 

あっちもこっちも 行列になってお参りする感じで

人混みが大の苦手の私は静かな場所を探して落ち着きたい気持ち満載でした。

なので、早々に伊勢内宮をでて、

これまた、10年ほど前に地元の方に教えていただいたオヤシロに行ったのですが

内宮が見えているその場所は 

ありがたいことに、誰もいなくて静まり返っていました。

 

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お参りをした後 

近寄ってこられた女性の方は、そのオヤシロをお掃除されている方でした。

「こちらは静かでしょう?」という会話から、いろんな話をうかがいました。

 

「何かを感じられる方々は、ここにくると 神様がいますねと言われます。

 私は何も感じないのですが、

 1年ほど前にこちらにご縁があってこちらへ来てからは

 この1年は確かに、いいことばかりで、幸せな時間を過ごせているんです。

 毎日、本当に楽しく過ごせています。」と

にこやかに言われた言葉が 今も心に振動しています。

 

しばらく その場で
風が揺らす木々の音を感じ

風で落ちて来たどんぐりの音を聞いていました。

穏やかだなぁと。

リセットできたなぁと豊かな気持ちになりました。

 

お礼を言いたくて、あたりを見回しましたが

お掃除をされていたその方はどこにもいなくて 

あの一瞬。

その一瞬 に 私の人生に登場して

そして 多分 大切な振動・言葉を伝えてくれた

あの方こそが「カミの動き」なのではないかと感じるようなことがありました。

 

そのまま、大阪に向かい

予定通り、新しい出会いをいただいたのですが

その間中、

「本当に楽しい毎日を過ごせています」という

当たり前の言葉なのに、重みのある暖かな振動が渦巻いていました。

 

来年の今頃

私もそんな風に語れる時間を積み上げていきたい。

 

そんなことを思います。

 

秋ですね。

美しい時間が深まります。

 

 

最初にがんばる毎日は、後が幸せな毎日です。

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おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

 

沖縄の首里城が火に包まれている映像を見て

ショックな朝を迎えました。

首里城なのに、つい

 

「沖縄が燃えてる」と錯覚を覚えるぐらい私にとって首里城は沖縄の象徴でした。

 

戦争の際にも全てなくなり、1992年の再建だそうですね。

それにしても、真っ赤な首里城が炎に包まれている様が

龍が怒り踊っているように見えて

不思議な感覚になりました。

 

水の災害が立て続けに続きました。

そして、沖縄で火の災害。

大嘗祭を終え 令和に入った途端に起きたこの二つの流れが

別物だと思えないのは私だけでしょうか??

人に被害がなかったのは本当に良かったと思います。

 

 

時代が変化しても

人の意識が変わらなければ

真に時代は変化しないなぁと感じます。

 

令和になったことで

何か今までとは違うものを受け取りながら

カタカムナ的にいう「アマ始元量」と呼ばれる何か新たな雨粒のような

見えない雫を自分の心の中にもおとし続けていくことなのかなと思います。

 

 

沖縄がさらに元氣に復活するような氣がします。

 

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さて、最近読んで、実際に生活にしてみた暮らし方の本

 

「受け継ぐ暮らし」

 

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シンプルで暖かくて優しくてこんな雰囲気が大好きです。

 

「最初にがんばる」

 

一日のうちで一番好きなのは朝の時間です。

5時に起きて、だいたい9時ぐらいまでが勝負。

朝は元氣がありますから、この時間帯にかんばってやるべきことを済ませてしまえば、あとはすっきりした気持ちで過ごせます。

 

朝を順調にすませられれば、その後の一日がずっとスムーズ。

心の中に、後回しの気がかりがないと、のびのびした気持ちでいられますから、家族やその他の人たちへの接し方も変わってきます。

最初にがんばる毎日は、後が幸せな毎日です。

 

早起きは日常で、毎朝5時半ぐらいには目が覚めてしまいます。

そこから ルーティンがあって、そのルーティンをこなさないとすっきりしなかったのですが、

この最後の一言

 

「最初にがんばる毎日は、後が幸せな毎日です」

 

に、引っかかりました 笑

 

私、頑張ってる割に、後が幸せに感じることないなぁって。

 

で、よーく考えてみたら

朝ルーティンが、暇を見つけてやりたいことで

それさえやれてるから、

残りの時間はやりたくないことをやっているんじゃないかと氣付いてしまいました。

つまり、どうしてもやりたいことを朝ルーティンに押し込んでいる!!!

 

逆の発想、

朝のうちに、ご飯のまわしとか、掃除、洗濯、調べ物、仕事の段取りをして

後から、暇を見つけてもやりたいことをするようにすればいいんだ。と。

 

切り替えて 2日目。

 

最初にがんばる毎日は、後が幸せな毎日です。

 

実感しています。笑

 

こんな風に、ひとつひとつ、静かに変容していけたらいいな。

「変容」とは、なんとも、地道で丁寧な響きですね。