タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

カイヤナイト 7/17 山羊座の満月から 8/1  獅子座の新月へ 調和への調整が始まった音を確かに聞きました。

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こんにちは

今日もご訪問をありがとうございます。

 

カイヤナイト。

クリスタルです。

 

2019年2月から「キラキラプロジェクト」として

アロマとクリスタルのフォローアップセミナーを開始しました。

何のフォローアップかといえば 啓子先生が診療に利用している

アロマとクリスタルの組み合わせをフォローしていく講座。

10名募集のところに20名の方の申し込みがあって急遽 2回開催となりました。

求められているのだなぁと感じます。

 

楽しく学んできて、ちょうど折り返し。

この折り返し地点に出てくるのが、写真のカイヤナイト。

綺麗な青い石。

 

実はこれ、啓子先生は「過去生療法の石」とされています。

 

過去生療法の最良の道具であり、時間変容によって、今生のヒントや情報を与えてくれる石。過去生の問題が現代の人生に影響を与えている場合、その原因を見つけるのを助けてくれます。

過去生が強いマイナスの思い込みや抑圧された感情を解放する手助けをします。

テキストからの抜粋。

 

写真はまん丸くて優しい雰囲気ですが

本来の感じは鋭い直線的な石で、結構な強さを感じたりもします。

 

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20年ほど前に、この石の話をセミナーで聞いた時

そんなクリスタルがあるのかと驚きました。

今でこそ、天然石、クリスタルという言葉は一般的になりましたが

当時はそんな言葉さえ珍しく、「カイヤナイト」なんて不思議な言葉は

聞いたことも見たこともありませんでした。

 

「過去生」があるなら、「来世」もある。

この過去生という言葉が、死んだら存在自体が消えて無くなってしまうと

恐怖の中にあった私を救い、

そしてまた、過去生を癒す最大の道具が目の前のこのクリスタルとは、

当時は見るもの聞くもの、すべてが新鮮でした。

 

天然石、クリスタルには独自の振動があって

それは、そのクリスタルを形成している結晶ひとつひとつからの響き。

その響きが人の心や肉体に関わり振動を変えてくれます。

直線的な「カイヤナイト」は、いらなものをズバッと切ってくれるのではないかと

当時、悩んでいた人間関係を、新たな関係へ生まれ出るようにと祈りながら

握りしめていた数ヶ月がありました。

見事に!と言いたいところなのですが

自然にそんな方向に向かったのではありませんでした。

 

ミレニアムを少し過ぎた頃

何かお互いに不都合なことが起き、確かにその関係性は変わるのですが

それは、私の一番苦手とする

「相手に自分の思いのすべてをきちんと伝える」ことをやらされた結果

そうなったという感じでした。


確かに過去生のエネルギーを手放す方向へ導いてくれるのだと思います。

その友人とはなぜか、いつも同じ土俵に上がり、そして競争が嫌いな一人っ子の私は

いつも先に土俵を下りていました。

負けることなく諦め続けていたというか。

そんな自分を変えるために握りしめた天然石。

握りしめるだけで状況が変わることなく、自分で一歩を踏み出す勇気を
与えてくれたのが、この石でした。

 

今朝、ふと気になった群青色の石。

臆病さや迷いを振りほどき、強さを手にする振動が
今また、必要なのかもしれないと感じています。

 

7/17 山羊座の満月から

8/1  獅子座の新月

調和への調整が始まった音を確かに聞きました。

 

 

 

 

 

 

 

モモからベクトル平行体 こんな振動が新たな時間を創造します。

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こんばんは。

今日もご訪問ありがとうございます。

 

怒涛のような連休を超えました 笑

 

前回の書き込みの後、
友人がまた、桃を持って来てくれました。

「もう、桃を見ると顔が浮かぶようになっちゃった」って

ハスキーボイスで連絡が。

その上、知ってか知らずか 山梨のお知り合いから桃が一箱届いて

本当に嬉しい悲鳴。

ただいま 毎日 桃を食べて続けて桃女になっています。

美味しい〜♪

だけど 桃を食べても なんも思い出せません!!

 

neverland2001.hatenablog.com

 

そんなものですね。

過去の履歴は共有できない感じなのか。

でも、桃は「愛」でした。

 

おとといは野草レストランの後、あくる日に開催する綿棒ワークのために

綿棒に色ぬりをしました。

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一本一本にアクリル絵の具で彩色。
13色 1300本に色をつけました。

それがとてもカラフルでそれだけでもテンションが上がります。

色って大事。

赤色が好き。茶色は嫌い。なんて思ったりしたけど

いんやいや、一本一本塗っているとどの色も可愛く思えて来ます。

 

そしてあくる日

綿棒ワークはまさにアートでした。

 

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前回 組子でしたが、そうでなくても結構時間がかかったベクトル平行体。

それぞれがそれぞれに進化したのか

今回は、あっという間に組み立てられるようになりました。

そして、組み合わせて「球」を作る手前まで行きました。

崩れては組み立て、組み立てては崩れ。

そうこうしている間に、どういう関係になっているのか。

集合体は一体 何を示しているのか。

空間 マ は何のことなのか。

なんとなく、理解しつつ…。

 

 

 

 

ベクトル平行体 13個で フラワーオブライフが出来上がります。
そして その中心にあるのが 「シードオブライフ」生命の種
このシードオブライフを立体にしたのがベクトル平行体。

 

「生命の種」
数霊 148   14 と 8で読めば 核から分離するモノ だし 

1と48 で読めば 始まりから終わりまで って感じになる。つまり循環。

シードオブライフ

数霊 86 

(根元から)離れ現れ出るモノ

そして これは 8+6=14 で まさに核になります。

離れ出たものが核になる。

まさに1から48まで 最初が最後になり最後が最初になる。

 その核は「大切なものから離れ現れ出たもの」

まさに「命のタネ」

 

ちなみに「ベクトル平行体」 は 数霊 111 となります。

111は大神
ぞろ目ってだけで なんとなくすごい気になる言葉ですけど
根元から出て 根元に戻り 根元から出る。
真ん中に集まる綿棒の核の部分がなんとなくそんな感じを醸し出します。
1+1+1 =3  3は実態です。

そう 結局 ベクトル平行体がフラワーオブライフの実態なのです。

 

13個集めて作ろうとしましたが未完成。

ただいま、13個のベクトル平行体は静かにサロンに鎮座しています。

 

何か始まった気がしています。

111 ベクトル平行体 大神 は

33のモモが 一二三と 3つ集まった数です。

こじつけの数遊び。

でも、こんな振動が新たな時間を創造します。

 

 

 

桃を食べたら思い出す。桃は愛なのかなぁ。

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おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

沖縄入りする前に大切な友人がくれた「桃」

4つも。

前日に持ってきてくれて、大好きな桃だけど、4つは食べられないなぁと思って

3つ冷蔵庫の中に入れて隠し持ってた。

帰宅しても何も変わることなく冷蔵庫にチンと居座っていて、

彼女の顔を思い浮かべながらいただきました。

 

桃は…

思い出深い思い出が色々とあって、私にとっては聖なる(笑)果物。

 

昔、すごい嘘つきな人に出会ったんですが、面白いことをその人は私に言いました。

「桃を食べたら思い出す」

それは冬のある日でした。

雪が降るような時期で、桃の季節なんてはるか遠い、そんな頃。

「自分がこの世に降りてきているには意味がある。

 信じるかどうかわからないけど、指令を帯びてきてるんだよ。」

「へー 私もなんかあなたの「腕」を覚えているような気がするんだよね」

「えっ 覚えててくれてるの? 嬉しいなぁ。

 それはさ きっと桃を食べたら思い出す。」

「は?」

「待ってて、桃を食べたら思い出すから」

「へっ??」

 

確かに、桃の頃に生まれてきている私は大の「桃」ずき。

それを知るはずもない人が、突然、冬の最中に「桃」を食べたらなんて言うから

吹き出しました。

後から別の友人に話ししたら

「なんか、ドラマになりそうな話じゃん」と。

 

これで、物語書こうかしらん。

 

結局 桃の季節になる前に、その友人とは疎遠になりました。

まぁ、そんなこと言うものだから、結構遠巻きになったこともあったりしたんですが

とにかく、びっくりするような「嘘つき」なので、新鮮に毎回 驚かされていました。

でも、この季節になると思います。

「桃を食べたら何を思い出すのかなぁ。」と。

きっとこれも、適当な「嘘」なんだろうけど

こんなメルヘンチックで好奇心をそそる偽りは騙されたままでいたくなります。

 

突然カタカムナ

 

シンジ 神事 信じ

外側の現象が強まり内なる示しとなる。

 

23  48 -23  で 結果 48になります。

神事って 48音の言葉のことだなぁ。

 

外側の現象がたとえ「嘘」であろうと、こんな風に毎年毎年、桃の季節になると

桃を食べたら思い出すことがあるのかと思うだけで

現象はさらに強まり内なる示しとなっていくのだろう。

 

嘘を嘘とするか

嘘が真となるか

私次第かぁ。

 

結局

自分が楽しくなることだけ拾い上げたいと思う気持ちが芽生えました。

 

ちなみに

モモ

漂いさらに漂う。

数霊 33 33    合わせて66 

受容し需要する。受け入れ、さらに受け入れ求める。

まずはトーラス構造です。

 

桃は古事記にも出てくる古代からあった果物です。

伊邪那岐命が、亡き妻の伊邪那美命を連れ戻そうと、死者の国である黄泉の国に赴くが、失敗して予母都色許売や8柱の雷神黄泉軍に追われる。地上との境にある黄泉比良坂(よもつひらさか)の麓まで逃げてきた時に、そこに生えていた桃の実を3個取って投げつけると、雷神と黄泉軍は撤退していった。

 

奈良の纏向遺跡からも2800個という大量の桃の種が出土されているので

卑弥呼の時代に神事に使われたと言われていますが

桃のフォルムからして、可愛いお尻の形。

まさにこれも トーラス構造。

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トーラスは「愛」だと言われている方も多いですが

ふと

桃を食べたら思い出すものは

「愛」だったりしたのかなと思ったりもしました。

 

 

 

 

 

未来のタネ は 今の振動。空のように自由である!! 今は常にそれを振動させています。

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おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

見せていただいています。

現実の社会に起きていることは、すべてが未来のタネですね。

自分がどこを選んでいるのか、見せられているような気がします。

 

現実社会は本当にわかりやすくてありがたい。

 

よく聞かれることがあります。

「未来は決まっているのでしょう。

 生まれる前に全部決めてきたのですよね」

 

最近の私は 「ノー」と答えることが多くなりました。

一昨日もそんなことがありまして

「ノー」と答えた途端に 目を丸くして「良かった」と笑顔になる方を見て

少し嬉しくなりました。

 

すべてが「振動」であるということを認識して

そして

そうであるに違いないと確信しだしてからは

「未来」は今の振動からしか生まれないと思い始めました。

故に

・未来が決まっている という人たちは「決まっている振動」が出ているから

「人生は決まっている」し

・未来などない という人たちは「今しかない」振動が出ているから

「人生はいかようにも変わる」わけです。

 

ここまで書いたら沖縄の啓子先生が言われる

「人生全て思い込み」というフレーズが脳裏をかすめました。

 

自分の人生は自分の思い込みでできている。

未来は確定したものではなくて自分の思いでいくらでも変わるんだ。

確かに宿命というような「宿る命」はあるかもしれないけど

(例えば中国何千年に裏打ちされる統計学のような占いなど)

運命は自分で命を運んでいくもの。

今まで消えていかなかった「過去」のある場面で刻んだあろう「命の刻印」を解放したらそのあとやってくる総仕上げ。それが

・未来は自分で決める 

という、自分で自分の人生を選ぶ「責任チケット」の受け取りなのかもしれないと思います。

 

人に決められる

神に決められる

過去に決められた人生を生きることの方が

自分の責任において決めた人生よりずっと楽ですから。

もしか、嫌なことが起きても

「決まっていたからしょうがない」と自分を納得させられますものね。

それが必要な時もあるし、私も人生は過酷だと思い込んでいた時には

そう思えることが、とっても優しい開放でした。

 

今は、少し強くなれたのかもしれません。

 

2000年の沖縄のDr.Keikoとの出会いは、その過酷な人生の幕開けの時でした。

18年の歳月を経て昨年のドイツ行きから少しずつ少しずつ軌道修正をし

全てはこれからのためにあったと確信できる「今の雰囲気」でいられていることに

今朝 気づきました。

 

ミルフィーユのように折り重なった人生の中の

どこを選んでいくのか

自分に選択権があると思うことは自由であり責任があり身の引き締まる思いです。

 

ただね。

ここで断っておきますが、

書いてることと、行動が違っていることは多々ありますよ。

だって、聖人君子じゃあるまいし、私は「人間」ですから、

正直に、潔く生きたいと 願っているだけの話で

正直に、潔く生きている と 言う訳では決してありません 笑

ただ

空のように自由な存在である! と、いつも振動してます。

 

遊牧民は本能的に柵を越えていく

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こんにちは

 

ご訪問ありがとうございます。

 

セミが静かな声で鳴き始めました。

そろそろ梅雨明けです。

 

今朝の読書タイム。

古代の遊牧民の歴史を読んでいて面白い記述に出会いました。

 

遊牧民は本能的に柵を越えていく」

 

広大な地域の多くの遊牧民族が組織され、たとえ言語は異なっても共通の文化に包括される。

言葉が違うのに、共通の文化などというのは矛盾に聞こえるかもしれない。

しかし、それは農耕民族的な偏見で、騎馬民族の文化には個々の言語をこえた、驚くような共通性と包容力、コスモポリタン性があった。

現代人は当然と思い込んでいるが、本来は架空のものでしかない国境などは、彼らにとってみれば、なんの拘束力もない。

古来、西アジアには

「農耕民は本能的に柵をめぐらし、遊牧民は本能的に柵を越えていく」という格言がある。

農耕民族は伝統的に閉鎖的な社会を形成して他民族を蛮視する傾向が強く、外国人の流入を許さない。その点、国境を知らない騎馬民族は、外国の文化や人材であっても、最大限に活用しようとする。

 

古代のユーラシア大陸の歴史は複雑で触れたくなかったのが本音。

その理由がまさにこれ。

確定しない感じが複雑怪奇にしていくから。

でも、わかり始めると、この騎馬民族たち、かなり親近感が湧いてきます。

6世紀後半には匈奴系の突厥が台頭してくるのですが

面白いことにその習性は

「日の出を拝み、天神をまつり、狼を始祖とした」とのこと。

昨年カタカムナ学校で、毎回 神社の警蹕のような狼の遠吠えをしましたが

もしかしたら、匈奴の習性につながっているのか!!

日本の神社は匈奴につながっているのかもしれません。

 

農耕民は本能的に柵をめぐらし

遊牧民は本能的に柵を越えていく。

この象徴的な言葉に言い表されているのは

遊牧民の自由度。

土地に根ざすことなく、土地に支配されることなく

自由に闊歩する姿は強くてたくましい。

国境で決められた支配は後から作られていったものであって

古い時代にはなかったのですよね。

秋田も新潟も同じ日本。みたいな

チベットもロシアも同じ大陸。そんな感じの境目なのかもしれません。

古代を鑑みるとき、今の視点を捨てないと真実は見えてこないといつも思うのですが

さらに今の枠を吹き飛ばしたら深い事実に行き当たりそうです。

アロマやクリスタル、精神世界と言われるものと歴史の世界は全く異質かもしれないけどこんな風にして、見え方、見方を鍛えられているような気がしてます。

 

自由に、空をつないで、続く限りの大地をひたすら駆けていたイメージが

広がります。

 

遊牧民の自由度に憧れを抱きそうです。

 

遊ぶ牧歌的な民族。

いい響きです。

自由に柵を越えていきます。

 

 

「人ってちぃちゃい」

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こんばんは。

訪問ありがとうございます。

 

沖縄の海。

綺麗でした。

自分の影が水を通して、水底に写っていました。

 

水面に漂い、空に顔を向けて地球の面と一体になった時、

人って小さいなぁと感じました。

 

「友人だと思ったから、こうしてあげたのです。」

 

こんな言葉がふと、脳裏をかすめます。

ここ最近よく聞く話。

魂の友人だと思っていたのに。

魂の友人だと思っていたから、この金額でやらせてもらおうと思っていたのに。

そして、その後

「こんなに軽んじられたのは初めてです」と続いたのだとか。

 

その話を聞いて、人って小さいなと、沖縄の海で感じた思いと同じものが私の中に広がります。

 

 

誰もあなたを軽んじてなどいない。

誰もあなたを裏切ってなどいない。

軽んじ、裏切ったのは自分自身。よね。

 

 

人はちっぽけだと感じ、その認識を深めると全てが笑いに変わります。

昔、10数年前仲の良かった友人が読んでいた本に書かれていました。

「人は元からダメダメなんだよ

 だから、嘘をつくし、盗みを働くし、人を殺すことだってしちゃう。

 人を傷つけることなど日常茶飯事。自分のことしか考えていないし、

 戦争も、自然破壊も自分勝手な都合をつけてやってのけてしまう。

 そんな風にもともと ダメダメ人間なのだけど

 一生懸命、心を逞しくし、豊かにして「いい人」であろうとする。

 それこそ、素晴らしいことなんだ。

 それこそ、健気で美しい」と。

 

当時、友人と何かあるたびに、「もともとダメダメなんだから仕方がないね」と

笑いあったものです。

 

人に見せるプライドなど必要ない。
そう思います。
もともと その人本来の個性は意識ではなく無意識の領域が表現されているのです。

意識的に「人に尊重される自分」を作り上げても
その人が表現して人に伝えているのはそれを作り上げている自分でしかありません。

つまり、必死になって作り上げた「見せたい自分」は見てもらえず

隠しておきたいにも関わらず

作っている「見られたくない自分」が伝わっている。

そんなものです。

そんなんだったら人に見せるプライドなど捨てて、

やりたいように生きればいい。そう思います。

 

 

沖縄の透き通った海と一体になって感じた思い。

「人ってちぃちゃい」

ちいちゃい自分が考えることってもっと小さくて

だからこそ、

さらに自分を小さくさせる虚勢だとか、嫉妬だとか、プライドとか、もういらない。

何もなくても十分に小さいんだから

大きくなれるように、今の思いだけを膨らませて、

愛や笑いや夢なんかを語り続ける仲間がいれば

それだけでいいなぁと

のんびりと空を見つめたことを思い出します。

 

もう 何にもいらないなぁと思ったことも思い出します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当の響きはしっかりと現実を作り上げていく

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おはようございます。

 

今日予定していたイベントが講師の都合でキャンセルになり、

年内お休みのなかった日曜日がお休みになりました。

時間はこんな風に与えられるのだなぁ。

ありがたいことです。

 

とはいえ、今日をとても楽しみにしていてくださった方々に申し訳なく

今後こんなことのないように、タイミング、打ち合わせ、

人選をきっちりとしないとと心を引き締めます。

 

令和に入って、特に7月に入り、
私の見てきた世界と、別次元の世界を見せられて驚きます。
でも、これは「いい兆し」

そう感じます。

 

2020年 大きな展開が待っています。

Dr.Keiko 名古屋20年 

沖縄とも繋がりを持って展開する大きなイベントを控えていて

ありとあらゆる対応を体験させられているのではないかと思うのです。

 

良いことと捉えられることも

悪いことと捉えられることも

全部 「自分の未来」のために起きていると考えると

人のせいにすることがなくなります。

 

数日前に書き込んだことですが、まさにその通り。

これもきっと、未来を作るための一コマであること受け止めると

見えてくるものがあります。

 

啓子先生

このかたは精神科のドクターですが、いわゆるスピリチュアルを実践されている方。

でも、彼女にとっては、スピリチュアルは「見える世界」なのですよね。

その先生を支えている会社のミッションとバリューを今回初めて見せていただいて

先生のあり方というか、世界観というか背景に広がるものを感じた時に

現実化しているものがなんであるのか認識できた気がしています。

 

お互いの個性を大切にし、相手を理解することで自分の理解を深める。
その相手を尊重し素直さと正直さで繋がり関わることで
また、自分らしく生き生きと生きることができることを知る。
そのために起きる変化には恐れず、勇気と希望を持ち続ける。

 

メビウスの輪 

 

愛することで愛されて、愛されることでさらに人を愛す。みたいな。

どこまでいっても循環は耐えない。

 

時に生徒さんに言われたことがあります。

「アコさんはスピリチュアルな世界でどっぷり仕事をしているように見えるけど

 なんか、そんな世界を倦厭し、まるで嫌いに見えるのはなんでなんだろうって

 よく話ししていました」って。

嫌いなのではなく、見えない世界を無責任に扱っている人たちが嫌なのかもしれません。

三次元に生きることこそが…

現実の中でそれを表現していくことこそが…

きっと、私のやりたいこと。

 

現実の中にこそ、真実があり、起きていることが結果でそして次への原因になる。
どれだけ立派に見える人でも、どれだけたくさんの方に支持をされていても

それは冠にしかすぎず、本当の響きはしっかりと現実を作り上げていきます。

そんな時代になったことを 嬉しくも思い、

我が身を振り返って、正直な響きを広げ続けていくことを求められているよ。

 

そんなことを思う今朝でした。