タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

奇跡は自分が起こしているのだと思うのです。

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こんばんは

ご訪問ありがとうございます。

 

毎年 この時期は 沖縄ツアーを敢行していて落ち着いてPCに向かう時間も余裕もありません。

今年は特に、いつもの沖縄の滞在場所で、そこに在るプログラムに乗っかることなく

組み立て土台からの展開で、かなり肩に力の入った状態での数ヶ月。

コロナの影響で航空便が欠航になったことで、取り直しというようなこともあり、

向こうについても、実は、まだハラハラは収まりきらず。

とにかく終わるまで気が抜けない状態でしたから、

途中でインスタをあげよう、@ラインを流そう、FBに書き込みをしよう、と意気込んでいたけれど、あっという間に時間は流れ、たくさんの感情と思い出が詰まった数日間を今、噛み締めている状態でこれを書き綴っています。

 

天候に恵まれ、連日、太陽サンサンで、真っ青な空と真っ青な海の世界を堪能しました。

生まれたての地球はこんなだったんだろう。

そんなことを何度、心で感じたか。

自然に包まれるというのは、

自然体を、心で感じることができれば、

パワースポットと呼ばれるような場所でなくともいいんだ。とも。

 

人が入ることはあまりない、神聖な場所。

宮古島の神の存在する場所は、自分が「素直」であればあるほど
人が何を感じ、何を露わにしているのかが手に取るように解る場所でした。

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竜の目と呼ばれるこの場所。

波のザバーンという音ではなく、水の音が壁に打ち付ける音は、海に繋がるこの場所をさらに神聖な場所にしているような気がしました。人が入らないことで、さらにそれは深まり、
たどり着いた人は、その深さを享受できる器が広がる。そんな気がします。

そんな場所は、たいてい、厳しさの中に存在するような気がするのです。

長い地球創生を感じさせる溶岩のような石灰質のでこぼこ道を歩き続ける。
そんな厳しさの中、
ようやくたどり着いた火口のようなその場所で待っていてくれたのは
体験したこともない「奇跡」でした。

下見の時、台風が来ていたため、行ったことのない場所に、膝の悪い彼女を連れて行くのは、
無理かもしれない。

行けても、火口の入り口までではないかと。

杖をつきながらひたすら歩き続けた石灰岩の岩。


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到着した岩場で、
「ここからは少し大変だから、ここで待っててね」と。
内心、沖縄戦で逃げることのできなくなった女学生を置いて行く気分でした。笑

 

けれど、その数十分後、膝の悪い彼女は、
自分も行くと、固い決意で歩き出しました。

みんながサポートする中で、
みんなと同じ体験を共有。

あくる日には、杖がなくても歩けるようになった姿が。

 

これだけを聞けば、ルルドの泉の脇に掲げられている「松葉杖」のような話で、
ここにくれば、癒しが起き、治るんだと。
でも、それは、少し違うことに気づきます。
そこに行き着くまでに、
たくさんの葛藤と、たくさんの不安と、たくさんの嘆きと、たくさんの決意が
つもり積もっての、その先だったこと。

単純じゃないなぁと思います。
けど、それは、とてもシンプルで
形ではないことに、気づかせてくれます。

つまり、トキは積算だから、
「これを唱えれば必ずそうなる人」と
「必ずしもそうはならない人」が表れでてくるということ。

それをする前の自分の時間がものを言うわけです。

そして、それをしない自分の時間も積まれて行くわけです。


だから、
奇跡は自分が起こしているのだと思うのです。

 

宮古島の4日間は、私にとって、最高に特別な4日間でした。

ツアー終了後、流れのように滞在している沖縄本島で、
時には、一人沖縄を楽しんでいる私の目の前に表れでた竜の顔のような雲。
(一番上の写真)
いつでも、どこでも、見てくれている。

あの時の、竜の目はいつでもどこでも感じることができる。

 

人のいない座喜味城址で、ひたすら風に吹かれながら

次のステージを祈りました。

この世界が、広がり続けますように。