タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

得るの反対は 失くすでも 与えるでもなく「選ぶ」

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おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

ハワイに行く予定が、近い海外、沖縄に。

今、在沖縄です。

長女の長期休暇に合わせてハワイに行く予定が

チケットが取れず、それならって沖縄に行くことにしました。

急なことで ハワイのレンタカーやホテル、お願いしていたツアーなど

全部 スライド。

これがまた大変でしたが、前日に関わらずスライド分はキャンセル料が全くかからず、

驚くばかりでした。

長女は、最後のキワまで、ないに等しいチケット争奪戦にかけようかと画策していましたが、それさえも見せていただきました。

 

行きの飛行機の中で、とある活字を見たとき

納得しました。

得るという言葉があるが、古い和語ではその反対は「選ぶ」なのです。
得るの反対は 失くすでも 与えるでもなく「選ぶ」なのだと書かれていました。現代人は何かを得ようと選ぶが何も得られない。

 

それが

あまりにも今回のことを指し示しているように思えてなりませんでした。

 

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ハワイ行きのために成田に飛ぶかどうしようか悩んだとき

「自己選択力を試されているのか」と 娘は言いました。

が、

選択するということは

何も得ないということ

例えば、

選択しないけれど、

ふと、思い立つ

ふと、目の前に飛び込んでくることに

実は「本当」があったりすることを教えてもらった氣がするのです。

ハワイに渡る前、不思議に

私のところに 毎日のように沖縄の情報や連絡が入ってきていました。

だからなのか

ハワイに行けないことで

バリにしようか

タイにしようか と考えながらも

どこかに、今までも何度も行ったことのある「沖縄」というキーワードが存在し、

沖縄行きという話に落ち着いてからは

旅の以外のことでさえ、

そう、自分の心の中のことに対しても、

何が本当なのか
今まで迷走していた部分がはっきりと見えてきたように思います。

 

結局

得ようとすることは 欲しい という思いに行き着き

どこまでも 欲 が渦巻く。

そして、執着やそう成らないのではないかという不安、

そう成らないときの悲しみを想定した歪みが生じる。

振り返ってみると

「欲しいものは手に入らない」というのは

「欲しくないものばかりが手に入った」ということであって、

実際 手に入らないわけではなく、

そのときには「欲しくないもの」というのが

自分の未来にとっては絶対的に「必要なもの」だったわけです。

 

選択するのではなく

得ようとするのでもなく

ただ ただ 目の前にあるものをしっかりと目に焼き付ける。

味わう。体験する。というだけのことに

様々な感情をくっつけて

ああでもない、こうでもないっていう時間を過ごしていたことに

氣がついたのです。

氣がついたから、さっぱりと手放してみました。

 

沖縄には、人生が変わるタイミングで呼ばれる。

そして、いつも大きく軌道修正されます。

大きく軌道を変えた人生は

まさに、自分が選択していた道。

得ようとしたものではなく、

心の中にずっと内在させ、大切に守り続けてきた

 

いつか叶えたい

あの気持ちを残したい

 

という思いでした。