タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

満ちては欠けて、欠けてもまた満ちていく「月」に命を投影した縄文の人々

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おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

 

今朝のお月様です。

西側の窓を開けに行こうと思ったら

お部屋が豆電球をつけているように明るい。

 

窓の向こう側に綺麗なお月様がありました。

 

満月の日はあまり綺麗に見えなくて辞めておいた写真撮影でしたが

こんなに朝早く、しかも超寒いのに

カメラを持ち出し撮影してきました。

 

おかげで朝からテンション上がりました。

 

日本列島に住んでいた古代人。

長野県に行くと縄文時代の遺物がわんさかあるのですが

縄文土器に映し出された世界観は

「太陽信仰」ではなく「月信仰」でした。

普遍の太陽ではなく

満ちては欠けて、欠けてもまた満ちていく「月」に命を投影しました。

死んでも、また、生まれ出てくる。

命の循環を絶えず彼らは受け止めていたのだと思います。

 

月とペアの水。

水を表す蛇。

(蛇口はまさに口から水が出てくる蛇ですから)

縄文土器には蛇のようなモチーフがふんだんに使われているのですが

蛇もまた

脱皮し、穴に入り、春になると穴から出てくる

死と再生の象徴。

 

輪廻転生 

命の循環をどのタイミングで人類は「あるはずもない」

この生、ひとつだという考えに傾いてきたのかなぁ。

と思います。

 

長野県の縄文土器に出会うまで

ふわぁと命の連続のことを思っていました。

「確かめようのないこと」として個人的な世界観の中で存在させていたと言った方が

正確かもしれませんが。

あの圧倒的な土器を見て

月に祈った彼らとダイレクトに繋がった感満載で

静かに喜んだ自分がありました。

 

アマテラスは少し眩しすぎて好きになれなかった。

 

そんな感じの「ココロ」が

なんとなく素直にすっと落ち着いた縄文信仰。

最近 縄文縄文と言われるようになりましたが

本当の縄文は調べれば調べるほど奥が深いのです。

 

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長野県茅野 なかっぱら遺跡

縄文時代中期前半から後期前半 

つまり 5000年前から4000年前の集落跡なのですが

こんな風に柱が立っていた跡が残されていて

このすぐわきで 国宝になっている土偶仮面の女神」が発掘されました。

 

この8本の柱も

この写真の向きで空を見上げるとまっすぐ真北に向くらしく

空と柱がつながっているのです。

 

なんどか近くの「尖石考古博物館」に出かけて学芸員さんに話を聞いたのですが

その土偶の中に存在した土の成分と埋まっていた場所の土の成分は違うのだとか。

これもまた神秘的な感じなのですが

さらに このなかっぱら遺跡に住んでいた人たちは

4000年前 あるとき 突然 いなくなってしまった形跡があるとか。

この現象がどういうことなのかもまた、今の私たちの認識で捉えると

全く違う見解になってしまうのだろうと思います。

 

なんてったって

彼らの感覚は凄まじいもので

 

月や地球の回転する「音」を聞いていたらしいので。

 

 

 

ここまで書いてきて思います。

自分の意識を変えたくて「古代史」を知りたいと思うんだな。

そういうことかと。

 

お日様が出てきました。

お月様と対角線的。

地球を挟んで宇宙に浮かんでいると思うと

なんだか とっても不思議な感じです。