タネノオト 〜ヒヒキ マノスヘシ

カタカムナ相似象 宇宙の理・イキルにただいま寄り添い中

コトバのチカラ。日本に帰ったら、コトバを大事にしなさい。

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水が光って綺麗です。

 

山か海かと聞かれたら

断然「海」が大好きで

目の前に水があったら寒くても入りたくなります。

 

こんな綺麗な水なら、なおさらのこと。

 

ミ    実態

ズ 飽和極限まで進む

 

実態が飽和極限まで進むもの 

さて なんのこっちゃですが

実は 実態というものは表面的には捉えきれないもの。

見ようとしないと見えないもの。

感じようとしないと感じられないものが飽和極限まで進む。

つまり、そんなものが見える形になったもの。ということでしょうか。

 

水って確かに、手に取ることはできないですね。

器がなければ、捉えられない。

実態は捉えられません。

氷になれば捕まえられますが水は氷ではありません。

水はミズですから。

手ですくってもこぼれていきます。

 

そして、刻々と変化していくもの。

 

そんな、不確定的なものが好きです。

 

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ス 飽和まで進む

ナ 何度も繰り返して繰り返すことで定着していく

 

定着するということは、多様性、変化性が出てくることで

ひふみよいむなやこと の   七を表すナは

七変化・周期性を表していたりします。

化学の元素周期などもそうですね。

移り変わっていきます。

 

岩から細かく砂になっていくのは

飽和まで進んで細かく細かく何度も繰り返して粉々になっていく様を

表しているのだと思います。

 

コトバ は それだけで状態を表しているものが多いとなると

面白い発見が続きます。

 

コトバには力があります。

日本語は、便利です。

主語がなくても通じるコトバ。

使いこなせている日本人はすごいと思います。

 

コトバの向こう側の世界を捉えることのできる感性。

その感性を知らず知らずのうちに、身につけている民族。

 

ある本に書かれていました。

愛国心はなくてもいい。民族愛が必要なんだ」と。

 

「国家には興亡があるが、民族は国家とは別に生き続ける。

 民族の一人一人の「人間」という生物の本来の生き方を見直したい。」と続きます。

 

硬い表現ですが、なんとなく、わかる気がします。

 

日本の四季の移り変わりを心で感じ、表現できるのは

「日本語」だからなのかもしれません。

ヒラヒラと舞う桜だったり

ぽとりと落ちる葉っぱだったり

しんしんと降る雪だったり。

外国の言葉に擬音語はないようで、

そこはかとない感じが伝わりにくいのかもしれません。

 

美しい国に生まれてきたなぁと思います。

春は特にそう感じます。

 

民族を代表するコトバ。

コトバを思うときいつも思い出すエピソード。

 

2010年6月 

アメリカ アリゾナ州セドナからアンテロープキャニオンを案内してくれた

ナバホ族のネイティブに言われたコトバ。

「この後きっと、とてつもない大きなことがある。

 日本に帰ったら、あなた方はコトバを大事にしなさい。

 日本人であることを、大切に思うことがきっとある」


そして 2011.3.11 東日本大震災

日本人であることを大切に思うことがありました。

あれから、特にコトバについて考えることが多くなりました。